22歳にして東京オリンピック親善大使、天皇家の前で歌唱…

屈託のない笑顔と健全性に溢れた歌の魅力が、政治家や官僚にまで好ましく受け入れられて、正月早々から池田勇人首相による「芸術文化関係者懇談会」に招かれた。

そして東京オリンピック開催という国家的なプロジェクトに向けて、坂本九は政府から広報のため親善大使になってほしいと協力を依頼された。

6月2日には目黒の迎賓館で開かれた天皇家と皇族による皇后陛下還暦祝いの席にも呼ばれて、両陛下の前で坂本九は『上を向いて歩こう』を歌った。

本来ならば、初の御前公演といってもいい出来事であったが、内輪の場だったという理由で当時は公表されなかった。

『上を向いて歩こう』は永六輔作詞、中村八大作曲。アメリカで『SUKIYAKI』と呼ばれ、ビルボード・チャート1位に輝いたは1963年6月15日だ。写真は2023年6月発売された『THE BOX of 上を向いて歩こう/SUKIYAKI』(UNIVERSAL MUSIC)より
『上を向いて歩こう』は永六輔作詞、中村八大作曲。アメリカで『SUKIYAKI』と呼ばれ、ビルボード・チャート1位に輝いたは1963年6月15日だ。写真は2023年6月発売された『THE BOX of 上を向いて歩こう/SUKIYAKI』(UNIVERSAL MUSIC)より

ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』(作・構成:永六輔/音楽:いずみたく)に主演したのは、6月18日から20日までの3日間だ。

これは1960年に別のキャストで大阪の労音(全国勤労者音楽協議会)で上演された作品だったが、それを観ていた坂本九が自ら演じてみたいと事務所に願い出て、上演が実現した。

坂本九の心意気に賛同したマネージャーの曲直瀬信子は、自分がマネージメントしている九重佑三子、ダニー飯田とパラダイス・キング、ジェリー藤尾、渡辺トモ子など、マナセ・プロダクションの人気スターをすべてノーギャラで出演させることで、上演の成功に向けて全面的に協力した。

東北地方から集団就職で上京して働きながら定時制高校に通う若者たちが、経済的にも時間的にも苦しい生活の中で、前向きに生きる姿を描いたこの作品は、オールマイティを目指す坂本九の芸域をいっそう広げることになった。

そしてテーマソングだった『見上げてごらん夜の星を』は、この時に初めてレコード化されて、音楽史に残るスタンダード・ソングが誕生する。

ちょうどその頃。2年前の大ヒット曲だった『上を向いて歩こう』が、アメリカのヒットチャートを駆け上って何と全米1位の快挙を成し遂げた。

その話題で日本でもリバイバル・ヒット。すかさず松竹は、坂本九が主演する映画を企画して秋に公開することを発表している。

『スキヤキ』が大ヒット中の8月中旬にアメリカを訪問した坂本九は、テレビ出演の他にオリンピック親善大使としての公式行事にも参加し、3泊6日という超強行日程を終えて帰国。

と、ここまではあらゆることが順調すぎるほど順調だったのに、この後に思いもよらない事件が待っていたのである。