8人くらいに羽交い絞めされながら

――当時SNSがなくて本当によかったですね。

今だったらなに書かれるか、わからないし、それこそ動画なんて撮られてたら一発でアウトになってたと思うので…(笑)。まぁ、私も数えきれないほど酒の失敗はしているし、今でもモーリーさんには感謝しかないんです。私が芸人になって2、3年後にモリマンさんたちは北海道に帰ってしまったんですけど、よく飲みに連れていってもらったりして、「初めてできた後輩だからうれしくて仕方なかった」と言ってくれたときは本当にうれしかったですね。

――では、お酒の飲み方を学んだのもモーリーさんから?

いえ、地元(木更津)の中学校のころから「気志團」のメンバーのとは幼馴染だったので、二十代はそいつらとの打ち上げで飲むことが多かったですね。最初は乾杯のビールで顔が真っ赤になる感じで、朝まで飲むこともなかったんですけど、気志團の白鳥雪之丞がある日、「ウーロンハイいいよ」と謎のことを言いはじめて…。

そんな焼酎なんておじさんの飲み物だろと敬遠してたのですが、いざ飲んでみると「ああ、これ一生飲めるな」と思って(笑)。地元ではパチンコで勝つことを「しのぎ」と呼ぶ友達がいて、そいつから「今日しのいだから」って連絡が来るたびに、朝まで飲んだりしてましたね。

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――当時は、芸人同士でも飲まれたりしていた?

私はNSCを出ていないから「同期」という存在がいないし、周りは後輩だらけで、売れるまで奢ってあげることもできなかったんですよね。なので、たまに劇場の打ち上げで飲むくらいでしたね。

でも、芸人と飲むと楽しすぎて、とにかく後輩を家に帰さない(笑)。お気に入りの子がいると、そいつを横に置いてひたすら飲んでましたし、その子が帰るってなると「ヤダヤダ、なんでだよ」ってなっちゃったりして…。始発の新宿駅で8人くらいに羽交い絞めされながら「殺すぞてめえ!」と叫んでいましたね。そんなことを続けるうちに、「まちゃネエやばい」という噂が広まり、誰も私と飲みたがらなくなって…。

――なかなかの酒癖の悪さですね…。

ついこの間も、札幌にあるモーリーさんのスナックで夜通し飲んでいたら、救急車で運ばれたんですよ。どうやら息してなかったっぽくて、モーリーさんに心臓マッサージしてもらったんですけど、そのせいでアバラを痛めました(笑)。

もちろん、それだけ必死に押してくれたからこその「感謝の痛み」なのに、それを千原ジュニアさんのYouTubeで話したら、どこからともなく横槍が飛んできまして…。