「諸君、本日から二日間の自然教室、イーデン校の生徒としてあくまでエレガントにのぞむように」
「はーい!」
1年3組の担任ヘンリー・ヘンダーソンの話を、ジャージ姿のクラスメイトたちは表向きこそ礼儀正しく聞いていたが、その心は目の前に広がる大自然に奪われていた。
『うわぁ、お花のいい匂い』
『あ、今、リスがいた∈』
『風が気持ちいい〜』
『あれ、なんの実だろう?』
『鳥の鳴き声が聞こえる』
アーニャの頭に、クラスメイトたちのうれしそうな心の声がひっきりなしに届く。
アーニャ自身も青々と生い茂る草木や、都会では見られないような青く澄んだ空、見たこともない鳥や虫たちにくぎづけだった。
白く大きなテントの中は、ちちが言っていたように豪華だ。ふわふわのベッドやゆらゆら揺れるハンモックまである。
(わくわく)
初めてのキャンプに夢中になればなるほど、その頭の中から『きゃんぷでなかよしだいさくせん』が消えていく。
続いてテントの部屋割り、班分けが発表され、食材や調理道具などが配られた。3組は総勢二十九人。テントは一つを二人ないし三人で使用。それらのテントを二つずつ組み合わせたもので一班とされるため、四人の班が六つ、五人の班が一つという内訳である。
「いっしょのテントになれてよかったね。アーニャちゃん」
仲良しのベッキー・ブラックベルがうれしそうに声をかけてきた頃には、ほとんど作戦を忘れ去っていた。
「あたし、テントで食べるように超人気店のチョコレートもってきたのよ。包装が超こってて、かわいいんだから」
「アーニャも ぴーなつ もってきた」
「ウフフ。夜はおやつ食べながら、コイバナね」
「コイバナ?」
聞きなれない言葉にアーニャがきょとんとしていると、ベッキーが片手で口を押さえ、にまにまと笑った。
そして、男子生徒の方を意味ありげに見やると、
「コイバナと言えば、アーニャちゃんやったじゃない。アイツと同じ班なんて、愛の力はイダイね」「?」
キャーッと盛り上がる友の視線の先には、ロイドの標的の息子が取り巻き二人に囲まれ、立っていた。
癖の強い黒髪。子供ながらに気だるげな表情。
ダミアン・デズモンドである。
「なんだよ。こっち見んなよ。ブース」
アーニャの視線に気づいたダミアンが、こちらを睨んできた。
「また、おまえと同じ班かよ。ちんちくりん」
「まったく、なんの呪いなんですかね。ダミアンさま。ちんちくりんの呪い?」
「あんなバカといっしょとか、ついてないですよね。ホント」
(あいかわらず じなんくそやろう てしたもくそやろう)
カチンときたが、おかげですっかり失念していたミッションの存在を思い出す。
(でも さくせんのためがまんする アーニャってば おねいさん)
アーニャは怒りを抑えると、ダミアンの顔を正面からじっと見つめた。
「な、なんだよ」
ダミアンがたじろぐ。
「なんか、文句あんのか。てめー。このド庶民が」
「アーニャ おまえといっしょのはんになるってしってた」
「は?」
「! アーニャちゃん、それって……」
アーニャの言葉にダミアンは訝しげに眉を寄せ、ベッキーは震える両手で自分の口を覆った。その大きな目はいつも以上にキラキラと輝いている。
「それって、二人の運命を信じてたってこと? 絶対、いっしょの班になれるって? いやーん、アーニャちゃんってば、ロマンチック!」
「ろまんちっく?」
「『バーリント・ラブ』みたい。あたし、キュンとしちゃった!」
「キュン?」
本当は、教員室に忍びこんだロイドが班分けに細工したためなのだが、もちろんそれは言えない。
だが、ベッキーの言っていることもわけがわからなかった。唯一わかるのは、『バーリント・ラブ』が、友の夢中になっているドラマだということぐらいだ。
そんなアーニャを置き去りに、ベッキーが一人で盛り上がる。
「ダミアンにもきっとアーニャちゃんのケナゲな想いは、伝わってるわよ」
「は!?」
その途端、ダミアンが茹でダコのように真っ赤になった。
「なななな何言ってんだ∋ こっちはおまえなんかといっしょの班にされて迷惑だ∋ この短足∈ ドブス∋ キモキモストーカー∋ バーカバーカバァーカ∋」
(…………やっぱり こいつなぐりたい)
さすがに我慢の限界に達したアーニャが、誰からも見えないように拳を握りしめていると、
「ノットエレガント」
「∋」
音もなく背後に立っていたヘンダーソンが静かにささやいた。
決して声を荒らげているわけではないのに、その場にいた全員が思わず直立不動の体勢をとるほど、威厳に満ちた声だった。
「デズモンド。相手に対するその侮辱的な発言は紳士的な行いかね」
「くっ……」
ヘンダーソンに一瞥され、ダミアンが悔しそうにうめく。
『くそ……また、こいつのせいで叱られた……このちんちくりんにかかわるとホント、ろくなことがねー……くそくそっ……こいつは疫病神だ』
(! アーニャ やくびょうがみ!?)
ダミアンの心を読んだアーニャがショックを受ける。
しゅんとなるアーニャと納得していない様子のダミアンに、ヘンダーソンが真っ白な髭の下でふうっとため息を吐く。
『きゃんぷでなかよしだいさくせん』は、早くも暗礁に乗り上げていた。
読んでいただきありがとうございました。
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