「期間は一泊二日。寝る場所は一応テントですが、中はベッドやテーブル、ソファーにラグ、ランプ、トイレや簡易シャワールームまであるみたいですね」
妻から受け取ったしおりを優雅にめくりながら、ロイドが告げる。
「まあ、今時のキャンプって、そんなものまであるんですか?」
「今時のというより、イーデン校ならではでしょう」
目を丸くするヨルにロイドが苦笑する。
アーニャの通うイーデン校は東国きっての名門校である。生徒は金持ちの子供ばかりだ。政財界の重鎮の子供も少なくない。
営利目的の誘拐など、よからぬことを企む者たちから生徒を守るため、キャンプ場となる山林は学園所有のもの。しかも、クラスごとに日をずらして行うため、教師一人に対する生徒の数も少なく、もちろん、夜間の警備体制も万全だという。
「丁度、気候もいいですし、きっと良い骨休めになりますよ。座学で詰めこむばかりが、子供の教育ではありませんから」
「それなら安心です」
そこまで説明され、ようやくヨルも安堵したようだ。今、お茶菓子を持ってきますね、と笑顔でキッチンへ向かった。
「とはいえ——」
ロイドの視線が再びしおりに注がれ、それからアーニャに注がれる。
「飯盒炊爨や天体観測といった自然教室ならではのイベントはあるみたいだし、先生の言うことをよく聞いて、友達と仲良くやるんだぞ? ケンカはなしだ」
「了解」
アーニャがびしっと敬礼の姿勢をとると、ロイドは「よし」と肯いてみせた。
「大自然の中で共に汗を流すことで、普段はケンカばかりだった級友と急速に打ち解けたりするのも、キャンプの醍醐味だからな」
「うぃー」
「くれぐれも友達と仲良くやるんだぞ」
(ちち おなじこと にどいってる)
あくまでやさしい父親然としたロイドの笑顔の裏に、スパイとしての思惑がありありと透けて見える。
西国情報局対東課〈WISE〉に所属するロイドの任務は、通称オペレーション〈梟(ストリクス)〉、東西の平和を脅かす危険人物——ドノバン・デズモンド国家統一党総裁の動向を監視することだ。用心深く滅多に人前に姿を見せないデズモンドと確実に接触するには、彼の子息たちが通うイーデン校の懇親会に、特待生の親として参加する必要がある。
それゆえ、孤児院にいたアーニャを養子にし、イーデン校に入学させたのだが、アーニャの成績はお世辞にも優秀とは言いがたい。
用意周到なロイドは、アーニャを特待生にする〝プランA〟——いわゆる正規ルート——が難渋した場合に備え、アーニャとデズモンドの次男ダミアンを仲良くさせ、家族ぐるみで親しくなる〝プランB〟も準備していたのだが、入学初日にアーニャがダミアンを殴って以来、こちらはこちらで難航している。

『これを機に、少しでもアーニャがダミアンと仲良くなってくれれば……』

ロイドの心の声と共に流れこんできたイメージ——共にキラキラとした笑顔で仲良くキャンプを楽しむダミアンと自分の姿——に思わず無表情になるも、
「ちち まかせろ」
「ん?」
「アーニャ なかよしがんばる」
そう宣言すると、ロイドの顔がパッと晴れやかになった。
「ああ! いい子で、がんばるんだぞ」

『東西の平和はおまえにかかっているんだぞ』

「うぃ」
大好きなロイドに頼りにされ、俄然やる気になったアーニャは、ココアを飲み、ヨルが持ってきてくれたクッキーを食べながら『きゃんぷでなかよしだいさくせん』を考え出した。

アーニャ きゃんぷのべんきょーする

じなん アーニャを そんけいする

『すげえ、アーニャさんはきゃんぷのたつじんだな。おれとともだちになって、こんど、ぜひおやとうちにあそびにきてくれ。みんなでいっしょにきゃんぷをしよう』

ちちとじなんのいえにいく

じなんのちちにあう

『わがやへようこそ、ほーじゃーさん』
『はじめまして、でずもんどさん。せんそうはやめましょう』

せかいへいわ

(かんぺきだ アーニャ じぶんのさいのうがこわい)
フッと笑ったアーニャが、己の緻密な計画に酔いしれながらココアを飲んでいると、一家の飼い犬であるボンドがやってきた。
もふもふの体をくっつけ、アーニャの持っているココアの匂いを嗅ぐと、
「ボフフ」
と吠えた。ふわふわとした長い毛がくすぐったい。
「オイ、ココアは飲むなよ、ボンド。ココアに含まれる成分は犬のおまえには毒なんだからな」
ロイドが食いしん坊な飼い犬を窘め、「今、ミルクを入れてやるから」と腰を上げると、ヨルが慌てて立ち上がった。
「あ、ロイドさん。でしたら、私が……」
「いえ、それぐらいボクがやります。ヨルさんは座ってゆっくりしててください」
「いえ、ロイドさんこそ休んでください。いつもお忙しいんですから」
妻を気遣う夫と夫を気遣う妻(ただし偽装)が、互いに遠慮しあいながらキッチンへ向かう。
その後ろに、ボンドがのそのそと続く。

『ちち』、『はは』、そしてボンド——。

ここは組織を逃げ出し、孤児院や里親の元を転々としたアーニャが、やっと手に入れた大切な居場所だった。
世界が平和になれば、ロイドもヨルもボンドも安心して暮らせる。
ずっとここで一緒にいられる。

(アーニャ がんばる!)

ボンドに仲良くミルクをやっている両親の姿に、アーニャは胸の前で小さな両手をぐっと握りしめた。