「“ヤンサンっ子”になれてうれしかった」

――グラビア自体で辛かったことは?

いや、もうグラビアは本当に楽しくて! 私が高校生だった当時ってすごくいい時代で、まだまだ海外ロケにいっぱい行けたんですよ。学業優先とはいえ、2週間に3回もグアムに行ったりしてました。だから楽しい思い出がいっぱいです。

――それは、うらやましい!

撮影現場ってメイクさん、スタイリストさん、カメラマンさんと和気あいあいと楽しく仕事をして、その場所場所でまったく違う自分に出会えるというか、知らない自分を写真に収めてもらえるんですよ。

それを見ると「私ってこんな一面もあるんだ」って思えて、それまでコンプレックスだと思っていた胸も「これって私の武器なんだ」と思えるようになりました。

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――本当に楽しんで撮影をしていたんですね。

辛かったことを強いて挙げるなら、やっぱりダイエットとか体形の維持でしょうか。あとはちょっと潔癖なところがあるので、温泉とかお風呂場で謎に寝転がらなきゃいけないグラビアカットだと「やだ、気持ち悪い……」とか思いながらやってましたね。

――過激すぎて着たくない水着はありましたか?

雑誌ではなく写真集だと事務所、編集の方、カメラマンさんとどういう作品を作りたいかって入念に打ち合わせをするんですよ。

“手ブラ”など少し露出の多い衣装もありましたが、自分の作品の中で“新しい自分”にチャレンジしようと話し合った結果、そういう撮影になるので抵抗はありませんでした。

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――グラビアアイドルとしてうれしかったことは?

やっぱり“ヤンサンっ子”になれたときはめちゃくちゃうれしかったですね。

――ヤンサンっ子?

「ヤングサンデー」(2008年休刊)に定期的に出るグラビアアイドルのことです。あれ、ヤンサンっ子だったかな? わからない。私が勝手に言ってただけかも(笑)。

当時は少年誌、青年誌は専属じゃないですけど、「この雑誌にしか出られない」という暗黙のルールみたいなのがあったんですよ。それが私はヤンサンだったんです。ヤンサンに出るようになって、グラビアアイドルとしてちょっと成長できたかなと思えるようになりました。