NSCを3カ月でやめて浅井企画へ

地元の大学に進学したものの、「お笑い芸人になる」という思いは変わらず。中退して、吉本興業が運営するNSCに入学を果たした。

「大阪NSC29期で、同期には見取り図や金属バットがいました。でも、僕は3カ月ぐらいでやめたんです。性格的にすごく尖っていたので。講師の作家にあれこれ言われて……態度も悪かったと思います。

養成所を出ても、みんながみんな芸人になれるわけではない。オーディションを通過しただけで所属できる事務所のほうがいいいんじゃないかと戦略的に考えました。養成所でいくら勉強しても、競合が多すぎるんで」

2006年、関根勤、小堺一機、キャイ~ンなど、テレビで活躍するタレントが多く所属する浅井企画のオーディションを受けた。中北を中心としたトリオの名前は「惑星NO.3」。

「あなたの経歴で紹介できる会社はありません、と半笑いで言われて…」元芸人・中北朋宏は屈辱をバネに起業、芸人のセカンドキャリアを支援する現在_2
2006年に結成したトリオ「惑星NO.3」。右が中北 写真提供/中北朋宏

「オーディションを通過して、浅井企画のホームページに名前とプロフィールが載ったときにはグッとくるものがありました。その頃、若手には、流れ星☆、どぶろっくがいました。

僕たちも一応、事務所に所属するお笑い芸人になりましたが、お笑いの仕事はほとんどない。たまに開催されるライブと、それに向けたネタ合わせ、アルバイト、先輩に誘われて行く合コンの4つでスケジュールは埋まっていました」

NSCでの競争を避けて東京に出て芸人になるという計画は実現したものの、その先の道筋は見えなかった。

「たまたま出会った人たちとトリオを組んだのですが、目標は3人ともバラバラでした。僕は30歳までに売れる! お笑いで食えるようになれなければやめようと決めていました。

ほかのふたりがどうだったのかはわかりません。僕自身も、事務所に所属できたことで満足した部分があったのかもしれない。賞を獲って売れるというイメージを3人で共有できていなかったように思います」