メイクはオンとオフを切り替える戦闘服

自身と美との関わりを振り返る
自身と美との関わりを振り返る

実父は赤井英和。しかし幼少期に両親が離婚し、母、祖母、姉と4人暮らしで育った。

物心ついたときから、美容に興味を持っていた。祇園でクラブのママをやっていた母は、出勤前にばっちりメイクをして出掛ける。そんな母を見て、「メイクはオンとオフを切り替える戦闘服」というイメージがついた。

「家族が全員女子だから、ヘアメイクやファッションの話題は多かったですね。家族で最初にヌーブラに手を出したのはおばあちゃんなんですよ。背中がガッツリ開いた服を着るために(笑)。今年87歳になるんですけど、ピアスも開いてるし、カッコいい女性です」

小学生になると母に連れられて百貨店に行くようになり、1階の化粧品カウンターにいるビューティー・アドバイザーに憧れた。

「身なりをビシッと整えて、綺麗にお化粧して、いい匂いがする女性たち。目の前には絵具みたいにいろんな色のお化粧品があって、その空間がすごく好きでした。中学生のときにビューティー・アドバイザーという職業を知って、わたしも将来なりたいなと思いました」

校則の厳しい女子校で、眉毛を整えるのも禁止されていたが、放課後、こっそり化粧をして街へ繰り出した。M・A・CやBOBBI BROWNといったデパートコスメが好きだったが、小遣いでは買えず、同じく黒いパッケージで統一されていたKATEを愛用した。

中学2年生のとき、街でモデルにスカウトされる。その頃の赤井は身長が高いことをコンプレックスに感じていたが、「仕事にしたらコンプレックスも消えるかもしれない」と思い、モデルとしてデビューすることを決めた。

高校1年生のとき、『VOGUE』に載った冨永愛の写真に衝撃を受けた。自前の制服にルーズソックス。ノーメイクで自信に満ち溢れた表情に魅了された。

「パリコレに行って自分で道を開拓したという話も衝撃的でした。私も当時、ショーのモデルをやっていたんですけど、一人で海外に行っても英語は通じないし、そこで開拓するってすごいなと思ったんです。美しさと生き方は結びついているなと感じました」