父の段四郎と母の自殺幇助に関与した疑いが濃厚な猿之助は、「愛するAへ」と“遺書”をしたためて自殺を図ったが死にきれず、緊急搬送された。一門は上演中の舞台に穴をあけまいと代役を立てて乗り切ったが、息つくまもなく、激震が襲った。
6月1日発売の「週刊文春」に、猿之助が遺産を相続させるとまで言及していた「最愛のA」の、猿之助への裏切りともとれるインタビュー記事が掲載されたのだ。
「怒る気力も失せるほど脱力している」と贔屓筋も呆然。猿之助(47)が遺書を宛てた“愛するA”に文春が直撃。「(自殺未遂をしても)悲しくない」発言に周囲はドン引き…中村隼人の“問題発言”も吹っ飛んだ
「怒る気力も失せるほど脱力している。いったい一門は何を守って来たのでしょうか」こう打ちひしがれるのは、歌舞伎俳優・市川猿之助(47)=本名・喜熨斗孝彦=らを擁する「澤瀉屋」を長年贔屓してきた関係者だ。
仏壇には遺言を記したもう1つのメモ

市川猿之助(写真/共同通信社)
一連の「事件」の発端になったのは、5月18日発売の「女性セブン」だ。同誌が猿之助のセクハラ疑惑を詳報したことを受け、厭世気分になった猿之助が両親と「話し合い」の末、「生まれ変わる」ために同日、心中を図った。両親は猿之助の処方薬である睡眠導入剤の過剰摂取による中毒症状で死亡。猿之助は睡眠薬服用に加えて首吊りも図ったがマネージャーに発見され、軽症だった。
この際に猿之助を介抱したり、119番通報するなどかいがいしく世話をしたのがマネージャーのAである。Aは、自身も俳優をしながら何度かスポーツ紙やワイドショーを賑わせたことのある人物だ。そのAが猿之助と接点を持ったのは、数年ほど前だという。
「当時Aは新橋演舞場や明治座で大道具の仕事をして食いつないでいて、猿之助と言葉を交わすうちに親しくなり、飲食をともにするうちに急速に親しくなっていった。Aは男女を問わず年長者の心を掴む手腕に長けていた」(スポーツ紙記者)
猿之助のAへの寵愛ぶりは澤瀉屋関係者の目に余るほどだったようだ。そして今回の事件で、猿之助は自殺を図った自室内に立てかけたキャンバスにこうメッセージを残していた。
<愛するA だいすき 次の世で会おうね>

猿之助の自宅 (撮影/集英社オンライン)
さらにもう1通、仏壇には遺言を記したメモも残っていた。
<Aを喜熨斗孝彦の養子にし、遺産の全てを相続する>
ここまで一心に愛を注がれたAは、事件当日は現場で泣き崩れる姿をマスコミに目撃されるなどしていたが、その後の行方は明らかにされていなかった。
そんな中、「文春砲」が炸裂した。同誌の記者は5月27日未明、都内のコンビニから出てきたA氏を直撃。記者が「事件をどういうふうに見ていたのか?」といった質問をするも「何にも関わりがない」とAは関係性を否定。さらに「猿之助さんが自殺を試みたことで悲しくないのか」との質問にも「はい、全然」と回答している。
「文春の直撃を受けたAは、うそバレバレの偽名をつかい、取材に応じる見返りに記者に100万円を要求。さらに発言も無茶苦茶でした。突然の声かけで動揺したのだろうが、この大変な時期に女性と酒を飲み泥酔もしている。周囲は呆れかえってますね」(前出・スポーツ紙記者)
若僧が上から目線で「味方」なんて…
いっぽう、5月3日から明治座で開かれていた「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」は事件以降、代役を立てて無事に28日の千秋楽を乗り切った。しかし終演後、夜の部の代役を務めた中村隼人のスピーチが関係者を激怒させた。
隼人は下りた緞帳の前で正座をし、満座の客を前に「我々は猿之助の味方」と涙目で語ったのだ。ファンたちはこれに感動し、翌日のワイドショーやスポーツ紙は美談として報じたが、幹部俳優や評論家、梨園の関係者の捉え方はまったく違っていた。

明治座(撮影/集英社オンライン)
「段四郎さん夫妻という歌舞伎界の大物が亡くなっており、女性誌に報じられた猿之助のハラスメント問題も何ひとつ解明されていない。そんな中で、隼人のような若僧が上から目線で『味方』なんて大見得したもんだから、しばらくは『隼人、けしからん!』とばかりに、この話題で持ちきりになるかと思っていたんですが、文春砲の一撃で、全部吹っ飛びましたわ」

明治座に掲示されたポスター内の中村隼人
冒頭で語った澤瀉屋を贔屓してきたある関係者は、苦笑いを浮かべながら途方に暮れた。梨園にかかる霧は、しばらく晴れそうにない。
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班