初来日の翌日、山本寛斎の事務所へ向かったデヴィッド・ボウイ
デヴィッド・ボウイが初めて日本の地を踏んだのは、1973年4月5日のことだった。
前年にリリースしたアルバム『ジギー・スターダスト』は、全英チャート5位にまで登りつめてイギリスでの人気を不動のものにした。
コンセプチュアルなアルバムの内容は、架空のロック・スター、ジギーの栄枯盛衰を描くというもの。ボウイはツアーで自らジギーに扮してステージに上がり、多くの若者が感化されてそのファッションを真似した。
幼少期から日本の文化に強い興味を抱いて、芸術やファッションから強い影響を受けてきたボウイにとって、日本へ行くことは長年抱いてきた夢だった。
![1972年に発売された『THE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST / ジギー・スターダスト』(ワーナーミュージック・ジャパン)。デヴィッド・ボウイの代表作の一つで、人類滅亡の危機に、救世主として異星より来たロックスター「ジギー・スターダスト」の物語仕立てとなっている](https://shuon.ismcdn.jp/mwimgs/8/5/500mw/img_857e3c85084545aa7f393bb1f813689c62977.jpg)
来日した翌日、ボウイはファッションデザイナー・山本寛斎の事務所へと向かう。日本で催されたファッション・ショーをビデオで見て寛斎のファンになり、歌舞伎などの伝統演劇を取り入れた衣装を何点か注文していたのだ。
できあがった衣装の中でボウイの目に止まったのは、歌舞伎の「引き抜き」と呼ばれる演出を取り入れた衣装だった。引っ張ると衣装が外れて中から新たな衣装が現れる仕組みで、ステージ上で瞬時にチェンジすることができる。
ボウイは日本ツアーで、早速この衣装を試した。