SDGsは「大衆のアヘン」である!

温暖化対策として、あなたは、なにかしているだろうか。レジ袋削減のために、エコバッグを買った? ペットボトル入り飲料を買わないようにマイボトルを持ち歩いている? 車をハイブリッドカーにした?

はっきり言おう。その善意だけなら無意味に終わる。それどころか、その善意は有害でさえある。

なぜだろうか。温暖化対策をしていると思い込むことで、真に必要とされているもっと大胆なアクションを起こさなくなってしまうからだ。良心の呵責から逃れ、現実の危機から目を背けることを許す「免罪符」として機能する消費行動は、資本の側が環境配慮を装って私たちを欺くグリーン・ウォッシュにいとも簡単に取り込まれてしまう。

人々の共有財<コモン>の再生から社会が変わる「集英社シリーズ・コモン」創刊 斎藤幸平×松本卓也 対談_1
斎藤幸平氏(撮影/五十嵐和博)
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では、国連が掲げ、各国政府も大企業も推進する「SDGs(持続可能な開発目標)」なら地球全体の環境を変えていくことができるだろうか。いや、それもやはりうまくいかない。

政府や企業がSDGsの行動指針をいくつかなぞったところで、気候変動は止められないのだ。SDGsはアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかない。

かつて、マルクスは、資本主義の辛い現実が引き起こす苦悩を和らげる「宗教」を「大衆のアヘン」だと批判した。SDGsはまさに現代版「大衆のアヘン」である。