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シオニズムは正当化できるか?

数年前、私はカリフォルニア州東部に位置するハイシエラ〔シエラネバダ山脈〕のリベラルなユダヤ人のサマーキャンプで、一週間にわたってイスラエルについて教えたことがある。

キャンプの指導員たち(カリフォルニアのベイエリアのきわめて進歩的な人びとと軍隊上がりの若いイスラエル人)が、キャンパーを相手に、またお互いに、イスラエルについてどう話すべきかという問題と格闘する手伝いをしたのだ。

ある日、一人の指導員からこう頼まれた。11歳の子供たちが集まる彼のキャビンで、午後の時間を使ってイスラエルの歴史について話してくれないか、と。

子供たちがどこまで知っているか、どこまで理解して吸収してくれるかはわからなかったが、やってみようと思った。

私は初歩から始めることにした。それから数時間をかけて、子供たちと共に、何千年にも及ぶユダヤ人の歴史を大急ぎで駆け抜け、現在のイスラエルの状況を理解できる地点までたどり着いた。

シオニスト(シオニズム:世界各地に離散していたユダヤ民族が、母国への帰還をめざして起こした民族国家建設運動)とパレスチナへのユダヤ人大量移民の話題になったとき、ブランドンという子が口を開いた。

「オッケー。ちょっと整理させて。つまり、こういうことかな。僕は生まれたときから、自分の土地にある自分の家で暮らしてきた。両親も、おじいさんおばあさんも、ひいおじいさんおばあさんも、ひいひいおじいさんおばあさんもみんなここで暮らし、僕と同じように土地を耕してきた。いつも誰かに家賃を払っていたけど、ずっとここで暮らしていた。ある日、畑に出て、夕方家に帰ってみると、この人(ここで彼は隣に座っていた子を指さした)とその家族が僕の家の半分で暮らしている。

僕が『おい、僕の家で何をしてるんだい?』と言うと、彼は『僕たちはここから遠く離れた町を追い出されたんだ。近所の人は殺され、僕たちの家も焼かれた。ほかに行くところはないし、受け入れてくれるところもない。だからここに来たんだ。ひいおじいさんおばあさんの、ひいおじいさんおばあさんの、そのまたひいおじいさんおばあさんが、はるか昔に暮らしていた場所にね』―というわけで、どちらも正しいが、どちらもほかに行くところがない。こんな感じでいい?」。

イスラエル・パレスチナ「結局どちらの言い分が正しいのか」…現代のパレスチナ人の一部はおそらく、イスラエルが対立するユダヤ人の子孫だという皮肉_1
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板に乗っている他人を海に突き落とす自然権はない

私はブランドンにこう言った。

「君は、世界で最も複雑で解決困難だと言う人もいる問題の本質を簡潔に言い当てたんだ。私がこれまで話をしてきた大人の9割より、この紛争の核心をよく理解しているね」と。


イスラエルの作家で平和運動家の故アモス・オズは、その代表作『イスラエルに生きる人々(In the Land of Israel)』の中でこう書いている。

シオニズムは「正当性を備えている。それは、溺れる者が唯一しがみつくことのできる板にしがみついているという正当性だ。この板にしがみついている溺れる者は、自然的、客観的、普遍的な正義のあらゆる法則によって、板の上に自分のスペースを確保することが許される―そうすることで、他人を少しばかり押しのけざるを得ないとしても。たとえ、板の上に座っている他人が、力ずく以外の手段を彼に残さないとしても。だが彼にも、板に乗っている他人を海に突き落とす自然権はない」。

イスラエルの最も偉大な作家とイーストベイに住む11歳の少年にとって、要するに、これが問題のすべてなのだ。

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では、ブランドンの言った、ずっと家で暮らしていた人びととは誰だったのだろうか?