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合同結婚式へ

統一教会の教えは、性に焦点をあて、人びとの罪と堕落を厳しく非難する。現代社会の性の乱れに嫌悪感を持つ若者、それでも性に関心を持つ若者は、縮み上がる。

本人が努力して清く正しくふるまっているとしても、十分でない。遺伝のように、エバとアダムの罪の堕落が、血統をたどって自分の身体に流れ込んでいるのだから。

そこで、未婚の男女は統一教会の厳しい監視下に置かれる。恋愛によって伴侶を見つけることができなくなる。それは汚れである。そこで文鮮明のアレンジによって決められた相手と、文鮮明夫妻の祝福を受けて、結婚することになる。これが、合同結婚式だ。

合同結婚式は、マスメディアに、興味本位で取材され取り上げられた。しかしこれは、統一教会の教義から導かれる、必然的な儀式である。合同結婚式が問題なのではなく、その前提が問題である。

ソンタークの『文鮮明と統一教会』

堕落論は、『原理講論』のなかでもっとも古く書かれた部分だろう。それは、文鮮明が活動を開始した当時の状況から推測できる。

フレデリック・ソンタークの『文鮮明と統一教会』(アビンドン社)という英語の本がある。わりに早い時期の統一教会についてのルポで、文鮮明へのインタヴューも載っている。

統一教会の全面協力で実現した企画で、ソンタークは韓国語も日本語もできないので、かなり割り引く必要があるが、ごく早い時期の統一教会の様子や珍しい当時の写真がたくさん紹介されているのがよい点だ。

文鮮明は1936年に最初の啓示体験をしてから、9年間にもわたる多くの祈りと研究を経て、のちに『原理講論』(統一教会の経典)で明かされることになる「原理」にたどり着いた。

平壌(彼によれば東方のエルサレム)に移って1946年6月から宣教を始めた。初期の信徒によると、手応えはなく貧しかった。そのうち布教のかどでソ連軍に逮捕され、労働キャンプに送られた。信徒がキャンプまで遠い道を歩いて会いに行った。キャンプは凍える寒さだったという。

本はまだないので、初期の信徒は、口頭で「原理」の教えを聞いた。そのあと釜山に逃れた。『原理講論』の最初の草稿が書き終わったのは、そのあとである。1960年に韓鶴子と再婚して、祝福を始めた。

最初の妻は、そういう役目は嫌だと言うので別れたという。ほかにも妻がいたという未確認情報がある(『文鮮明と統一教会』七九―八四頁)。