教養は他人を切って捨てるためのツールではない

こうして、私は、自分の専門とは別に学んだことを教養という箪笥の引き出しに入れておくことを覚えたのである。以来、教養というのは、自分の飯のタネ(専門)以外のすべての知のことだと思っている。

それらは、人生のいろいろな場面で必要が生じたときに、思い出して、繙くものである。さまざまな困難に直面した時、引き出しが多ければ、無知につけこまれて不安に駆られることは減る。コロナ禍やウクライナ戦争という恐ろしく混沌とした世界に生きる今、それを痛感している。

インフレと円安は日本人の将来に暗い影を落としている。「ファスト教養」が、単にものごとの上っ面を撫でるだけのインスタントな知識ならまだいい。最大の問題は、無知や不安につけこんで、デタラメをまき散らすことにある。

資産形成や投資がらみの「教養」には、そういうものがある。冷静に考えれば、博打に必勝法があり得ないのと同じで、投資に必勝法などない。儲かるための「秘密の知恵」を売り、カネを吸い上げるための道具として「教養」の語が使われるにすぎない。

しかも、これを知らないのはバカだという脅し文句で商材に誘導する。教養がどういうものであったとしても、他人を「バカ」や「落伍者」と切って捨てるためのツールではないという著者のスタンスー私はそこに最も共感するのである。

文/内藤正典

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