小山田氏はなぜ「いじめ紀行」の取材依頼を受け入れたのか
90年代のもう一誌、『クイック・ジャパン』(以下『QJ』)に移ろう。こちらの記事は、『ROJ』のいじめ発言に興味を抱き、「いじめ紀行」と題して主題を絞ってその拡大増強版を記事化したかった編集側と、いじめっ子代表のような扱いを引き受けてでも先述の最悪の誤情報だけは取り除いておきたいという小山田氏側の、破局的な同床異夢の産物と言うことができる。
じっさい、同誌の『ROJ』の引用からは食糞のくだりが奇妙にも脱落している。『QJ』としてはこの強烈な一節をぜひとも使いたかったに違いないのだから、おそらく小山田氏側から事実と異なるのでその部分は引かないようにとの要請があり、それを受けて不正確な引用を行ったのだろうと推察される。
一方、自慰強要のエピソードは『QJ』の取材でより具体的な状況が語られているが、積極的に加担したようにも読める『ROJ』での発言とは異なり、事実に即して、元上級生の逸脱的行為に傍観者として立ち会ったものであることが明言されている。
したがって、この95年夏の『QJ』の記事を冷静に読むなら、「いじめというよりは、もう犯罪に近い」(『報道ステーション』2021.7.19)と言えるような事実を見出すことはできない。しかしそれにもかかわらず、この取材記事が90年代当時において、小山田氏のアーティストイメージの修復に役立つことはなかった。
当然だろう。これらの情報修正は、「自分は過度のいじめ加害には加担していない、『ROJ』の記事には深刻な歪曲が含まれている」といった主張とともになされたのではなく(小山田氏は『ROJ』94年1月号刊行直後に幾度か、この種の主張を控えめな抗議のかたちで試みていたが、95年の時点では諦めの境地に達していたのだろうと想像される)、「いじめ紀行」という、一種の悪ノリや開き直りを感じさせる枠組みの中で密かに行われたものにすぎない。だから、ほとんどの読者にこの記事は『ROJ』の記事の修正としてではなく、そのまっすぐな延長線上で読まれるほかなかった。
そしてまた、「犯罪に近い」加害が告白されているわけではないにしても、この記事における小山田氏の発言や口調がしばしば配慮を欠き、良識ある読者を呆れさせ苛立たせるものとなっていることも事実だ。今日、小山田氏が反省しているように、こうした企画の提案に乗るべきでなかったことは間違いない。
筆者にとっても、編集側が用意した「いじめ紀行」という枠組みが受け入れがたいのはもちろん、小山田氏の口調の一部にも大いに問題があると感じられる。