社会の在り方を映す
大人の恋愛小説
四歳の娘がいる文美子は、夫との味気ないセックスに不満を覚えながらも、結婚生活をやりすごしていた。
ある日、文美子は、ママ友に誘われて行ったパーティで、舞台俳優の若者、高山夏生と出会う。そのパーティは、お金に余裕のある女性たちが、若くて美しい獣のような若者たちと出会う「禁猟区」だった。
『眠れぬ真珠』『夜の桃』『水を抱く』などの恋愛小説が数多くの読者を獲得し、映画化された『娼年』と続く『逝年』『爽年』の三部作で、性に迷う現代の女性たちを癒やす男性を描いた石田衣良さん。最新刊『禁猟区』は、長篇としては『オネスティ』、短篇集を含めれば『MILK』以来、久々の恋愛小説です。「#MeToo」運動が世界的に盛り上がり、ジェンダーについての常識が変わりつつある今、愛と性を書くことについてお話をうかがいました。
聞き手・構成=タカザワケンジ/撮影=山口真由子
久々の恋愛小説
―― 『オネスティ』と『MILK』の刊行が二〇一五年。直球の恋愛小説は久々ですね。
久々に恋愛小説を書いてみてやっぱりいいなと思いました。女性の主人公になり切って、小説の中で起こるイベントを生きていくというのが楽しかったですね。
今、不倫や浮気が道徳的に完全なバツになったじゃないですか。なので、逆に書いてみたいなというのがあったんですよね。リアルな世界で殺人はとんでもない大罪ですが、ミステリーの世界では舌なめずりしながら殺人を楽しんでいますよね。女性読者にも小説の中で不倫を楽しんでほしいなと思ったんです。
―― 主人公の文美子が夏生という若者と出会って恋に落ちます。彼らが重ねるデートも楽しいですね。
今回は僕がふだん暮らしている場所を舞台にしようかなという感じでしたね。よく行くホテルであったりレストランであったり。文美子を東京の西側に、夏生を東側に住まわせて、代官山に行ったり、浅草に行ったりというようなことにもしてみました。自分でデートするわけじゃないんですけど、デート場所をセレクトしたりするのは、すごく楽しいですね。恋愛小説って、ライフスタイル小説でもあるので、そういうところがちょっと楽しいんです。
変化するジェンダー意識
―― 物語は夫婦の夜の営みの場面から始まりますが、夫が自分勝手なんですよね。月に二回。前戯三分、挿入三分で計六分という。
ちょっと前の話になりますけど、まだ子供が小さかった時に幼稚園のママ友たちの話をいっぱい聞いたことがあるんです。ともかく旦那との夜に対する不満がすごいんですよね。そういうご夫婦はあまり仲がうまくいっていないという感じだったので、その辺が反映されているんですよ。
―― 男性側から見ると意識していないようなことでも小説に描写されるといかに無神経かが分かります。
ここ何年か恋愛小説を書いていなかったんですが、その間に一番変わったのは、ジェンダーの扱い方がシビアになったことかもしれません。昔だったら「おい、お前」みたいな男性が許されていましたけど、今は完全にアウト。
変化が起きる時代って、変化を受け入れる人たちは自然に変わっていきますが、変化したくない人たちはかたくなに抵抗するんですよね。双方のギャップがどんどん大きくなってしまうので、その落差みたいなものは書いていて面白かったですね。
―― 石田さんは『娼年』三部作で、男性側から、女性が受けている性の抑圧や、性によって傷つき、損なわれているものにフォーカスされていました。『禁猟区』は女性側から描いたとも言えますね。
なるほどね。そう言われるとちょっと納得しますね。確かに女性の欲望に関しては、社会からの抑圧が強いですよね。男性と比較して社会的なポジションが得にくかったり、ワーク・ライフ・バランスでしわ寄せが来ているのは事実ですから。
実は『娼年』って、熱烈な女性読者が多いんです。よく書いてくれたというリアクションが多い。日本の女性は性に関しても、ある程度自由になったとはいえ、まだまだひどいプレッシャーの中で生きているんだなという気はしますね。
―― 『禁猟区』は女性の側から性を楽しむことを肯定的に書いていますよね。マダム芹沢というお金持ちの中年女性が若いイケメンたちを集めて、パーティをしたり。
昔、目黒川沿いを散歩していて、ある大物の中年女性歌手がオープンカーに乗っているのを見たことがあるんですよ。金髪のモデル風の男性が隣で運転していて。マダム芹沢そのものでしたね。成功した中高年女性が若い男性を侍らせて、というのは現実にあることなんですよ。
文化は生活を豊かにするツール
―― 文美子は結婚生活に大きな不満があるわけではないし離婚も考えていないけれど「誰かを好きになる心がないと、心が全部死んでしまう」という切実な思いを抱えてもいます。文美子に感情移入できる人は多いのでは、と思いました。
平穏な日常だけでは満たされないものがある。誰だって楽しいこととかときめきがないと生きている実感を感じられないと思うんですよ。小説は心の強力なビタミン剤みたいなものとして働くので、ちょっとしたときめきだったり、初めてのデートは楽しかったなとか、手をつなぐ時のドキドキみたいなものを思い出してもらえるといいですね。
―― 『禁猟区』に限らず、石田さんの恋愛小説は、登場人物たちが交わす言葉が豊かだと思います。文美子はライター、夏生は小劇場の舞台俳優なので、二人とも言葉遣いにセンスがある。その二人が言葉を交わし合っているだけでときめきがあるんですよね。
せりふは本当に大事なんですよね。小説のせりふってなかなか映画の中では乗らないんですけど、『娼年』の映画では、三浦大輔監督がそのまま使う場面が多かったんですよ。なるほどなと思いましたけどね。『娼年』はせりふ劇でもあるんだな、と。
―― 性愛と言葉が密接に関わっている。文学ではずっとそうでしたよね。今、男女の間で言葉でときめきをつくっていくような知性、教養みたいなものが必要なんじゃないのかなと読んでいて思ったんですけど。
僕たち、文化っていうと高尚なものとか難しいものってすぐに考えがちなんですけど、実はそうではなくて、生活を豊かに楽しくするためのツールだと思うんですよ。小説もありがたがることはなくて、気軽に触れて楽しんでもらえればいいのになと思います。
―― 主人公の女性をライターという設定にされたのは何か理由はあったんですか。
特に深い理由はないんですけど、僕がデビューした初期の頃の雰囲気がイメージとしてあったんですね。本を出し始めた頃のワクワク感、達成感みたいなものを描きたかったんです。その頃って、振り返ってみると僕自身、自己肯定感がすごく出ていたと思うんですよね。最近の小説は、イヤミスに代表されるように、つらい状況に追い詰められていくヒロインが多いと思うんですよ。でも、この小説では、そんなつらい状況のなかでも、明るいほうを向いているヒロインにしたかったんです。
―― ライターという設定は、文美子の冷めた視点にも表れていますよね。一歩引いてママ友たちを見ています。
文美子はある集団の中に完全に埋もれるのは無理な人なんです。でも、今、実はみんなそうなんじゃないかな。金子光晴の「おつとせい」の詩みたいに、その集団が嫌でそっぽを向きながらも結局は一緒にいるしかない。そんなところがあるんじゃないですか。自分はこの中で浮いている、と思っている人は多いと思いますね。