「最高の財産だった」被災者の声で気づいた『ロード』の真価

「一番前でずっと俺が出てくるのを待ってて、ギター弾き始めたら、もう歌う前から泣いてたんだよね。『ロード』を歌ったら、わーっと泣いて。俺の歌なんて、彼女がリアルタイムで知ってるはずないんですよ。まだ生まれる前のヒット曲だから、何でだろうってずっと気になってて」

歌い終えたあと、駆け寄ってきた少女は「この歌をずっと歌い続けてください」と告げた。震災当時、彼女は中学1年生だったという。

「震災が起きる前は、家で毎日、両親が言い争いをしていたそうなんです。『帰りたくない』って思うくらいの家庭だったと。それが震災当日、図書館から避難所に連れていかれ、1週間後に、お父さんとお母さん、妹のご遺体と対面することになった。それからしばらく、何が起きたのかも分からずパニックだったって言ってましたね」

避難所で、誰かがつけていたラジオから流れてきたのが『ロード』だった。

「『何、この歌』って思ったのが最初だったみたいです。それで、俺が被災地を回って歌ってるらしいって噂を聞いて、来るのをずっと待っててくれたそうなんですね」

少女は高橋にこう続けた。

「震災の前夜も、うるさい両親に口ごたえをして、翌朝もろくに口をきかずに登校したと。あの日々が幸せだったかどうかはわからない。でも、あれが家族だったんだ、って。私みたいな思いの人はいっぱいいるはず、だって」

14歳の少女の重い言葉を思い出した高橋は、目をうるませた。

被災地での話を目をうるませながら語る高橋ジョージ(撮影/佐藤靖彦)
被災地での話を目をうるませながら語る高橋ジョージ(撮影/佐藤靖彦)

「俺は、とんでもない曲を作ってしまっていたんだな、と思いましたね」

同じ現場に、もうひとり印象的な人物がいたという。

「自分で持ってきた腰かけに座って、ずっと聴いてくれてたおばあちゃんがいて。85、6歳くらいだったかな。歌い終わったら『この曲、いい曲ね。売れるよ』って言うんですよ。『ロード』がもう(当時で)20年近く前に220万枚以上売れた曲だってことも知らずに、まるで初めて聴いたみたいな顔で」

中学生の「もっと歌ってほしい」という涙と、おばあちゃんの「この曲、売れるよ」という無邪気な感想。ふたつが同じ日、同じ場所で重なったことが、高橋にとって決定的な出来事になったという。

「ヒットして何億円入ったとか、そういう話とはまったく別の、最高の財産だったと気づいたんです。俺としては一周も二周も回ったネタっていうか、世間としても、もう終わった曲だと思われてたのに」