強さを求めた先に待っていた孤独

その後の青木真也は、本当に強くなった。

PRIDE、DREAM、ONE…国内外のリングを渡り歩き、日本を代表する総合格闘家のひとりになった。 ただし、誰からも好かれるスターだったわけではない。強烈な言葉を発し、試合でも感情をむき出しにする。時には反感を買い、批判の的にもなった。

本人もかつてこう語っている。

〈最高に強いファイターになりたいっていう奴はたくさんいるけど、僕は最高にイケてるファイターにもなりたいんですよ。その両方を目指すのが男のロマンなんです〉

勝つだけでは足りない。人の記憶に残らなければ意味がない。その生き方は青木を高い場所へ押し上げる一方、孤独とも隣り合わせだった。

2019年3月31日。両国国技館でONEライト級世界王座を奪還した青木は、試合後にマイクを握った。

「35歳になって、好きなことやって、家庭壊して、一人ぼっちで格闘技やって、どうだお前ら羨ましいだろう! 俺はな、こうやってな、明日もコツコツ生きていくんだよ」

自虐にも強がりにも聞こえる。だが今振り返ると、「一人ぼっち」という言葉が妙に重く残る。好きなことを続け、誰よりも強くなる。その代わりに失ったものもあったはずだ。

あの日の本音
あの日の本音

「今振り返ると、僕は未熟だったなってすごく思っています。山を登ってキャリアを作っていくことと、家庭に時間を割くとか、人に気を使うことと、基本的には真逆だと思うんですよ。でも若い頃は『俺は両方できる』と思っていた。結婚も早かったし、子どももいたけど、今は『俺が悪かったな』という気持ちはすごくあります」

では、あの言葉を今はどう受け止めているのか。

「あのマイクも、今となっては恥ずかしいですよ。でも、あのときのリアルではあったんです。『俺は自分のキャリア、自分の人生を生きるんだ』って、そっちを選んだ。格闘技とか仕事ぐらいしか救いがなかったし、本当に追い込まれていた。朝4時に目が覚めるようなこともあって、あの時期が一番しんどかったかもしれない」

ただ、その孤独は青木から何かを奪っただけではなかった。

「孤独の中で自問自答するしかなかったから、あれで強くなった感じもするんですよ。そこから5、6年、本当に死ぬ気で格闘技とものづくりをやった。その貯金は今も自分の腕として残っています。

試合会場に出ていくときの顔ひとつ、表現ひとつを取っても、『今ここで何が必要なのか』は過不足なくできる気がする。あれぐらい追い込まれていたから頑張れた、というのも間違いなくあるんですよね」

若い頃の青木は、誰よりも自分を強く見せようとしていた。だが、その内側には周囲の目を気にし、人との関係に敏感で繊細な一面も同居していた。強烈な「青木真也」というキャラクターをまとい、自分を追い込み、リングで闘い続ける。

その小さな積み重ねを毎日コツコツ続けることで、青木は確実に強くなったが、強くなることと幸せになることは、必ずしも同じだったのだろうか。