ジャズの帝王とプリンス

時は流れて1980年代。

1984年に自伝映画『パープル・レイン』を発表したプリンス。映画の興行収入は年間11位、アルバムは全世界で1500万枚以上を売り上げ、その人気と名声は頂点にまで上り詰めた。その年の11月からはツアーに旅立ち、各地で賞賛の嵐を浴びる。

ツアー中のサポートで加わっていたのが、ジャズサックス・プレーヤーのエリック・リーズだ。兄のアラン・リーズがプリンスのツアー・マネージャーを務めていた縁で、プリンスと知り合ったエリックはその腕を買われてツアーに参加していた。

日本では1985年2月9日に劇場公開された映画『パープル・レイン』 1984年製作/111分/PG12/アメリカ 原題:Purple Rain 配給:ワーナー オリジナル音楽の作曲は主演も兼ねたプリンス本人が担当。若きミュージシャンのキッド(プリンス)がスターへの道を歩む姿を描いた自伝的音楽映画になっている。画像はDVDジャケット。
日本では1985年2月9日に劇場公開された映画『パープル・レイン』 1984年製作/111分/PG12/アメリカ 原題:Purple Rain 配給:ワーナー オリジナル音楽の作曲は主演も兼ねたプリンス本人が担当。若きミュージシャンのキッド(プリンス)がスターへの道を歩む姿を描いた自伝的音楽映画になっている。画像はDVDジャケット。
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父がジャズ・ピアニストでありながらも、あまりジャズを聴いてこなかったプリンスにとって、エリックの加入によってもたらされたジャズ・フィーリングは大きな刺激となった。

そんなある日、エリックはジャズに興味を抱いたプリンスに、マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』と『スケッチ・オブ・スペイン』といったレコードを渡した。

マイルスの音楽に触れたプリンスは、それまで知ることのなかった世界に魅了され、マイルスのこれまでのレコード、さらには映像作品にいたるまで、手当たり次第に漁ってのめり込むのだった。

そんなプリンスが、マイルス・デイヴィスと運命的な出会いを果たすのは1985年の12月7日、ロサンゼルスの空港に降り立った時のことである。

送迎の車が到着するのを待っていると、一緒にいたアランがマイルスを発見し、プリンスを連れて挨拶にいった。マイルスもまたプリンスの音楽を高く評価していた。

プリンスは曲を書いて歌い、音楽をプロデュースして演奏し、映画でも、演技にプロデュースに監督と、すべて自分でやってしまう。マイケル(・ジャクソン)同様ダンスもすばらしく、あまりに多くのことをやるから、ほとんどなんでもできるように見える。プリンスもマイケルもすごいが、全体的な音楽の影響力という意味では、オレはプリンスのほうが好きだ。

マイルスは自分の車にプリンスとアランを招待し、20分ほど会話すると、お互いの連絡先を交換する。その後、プリンスは録音したテープをマイルスのもとに送って、マイルスがそこにトランペットを重ねたり、自身のスタジオ(ペイズリー・パーク)が完成するとマイルスを招待したりと、互いに刺激を与えながら親交を深めていった。

プリンスは少し恥ずかしがり屋だが、すごくいい奴で、ちょっとした天才でもある。音楽や他のすべてのことにおいても、自分に何ができて何ができないかをちゃんとわきまえている。人々の心の奥底にある願望をカタチにしてみせるのが仕事だから、彼は誰にでも入り込めるんだ。

2人がステージで初共演を果たすのは、出会いから2年が経った1987年12月31日のことだ。プリンスはペイズリー・パークで、ミネアポリスのホームレスを救済するためのチャリティー・コンサートを主催した。そこには新年を一緒に迎えるために、観客として招待されたマイルスの姿もあった。

会場は超満員となり、そこがスタジオとは思えないほど本格的なコンサートでは、音楽と照明とダンスが一体となったパフォーマンスが次々と展開していく。そしてアンコールの最後の曲「ビューティフル・ナイト」の途中で、プリンスはマイルスをステージ上に招いた。

何も知らされていなかったマイルスだが、用意された自身のトランペットを手にすると、その洗練された音とメロディーで曲の世界を一変させてみせた。

プリンスはマイルスと一緒にアルバムが作りたかった。一緒にツアーもしたかったという。

しかし、マイルスに時間は残されていなかった。1991年9月28日、「ジャズの帝王」と呼ばれ、音楽シーンに計り知れないほどの影響をもたらした男は、65歳でこの世を去った。

そして2016年4月21日。プリンスもまた、57歳という若さでその人生の幕を閉じた。

天国で再会した2人は、今頃どんな話をしているのだろうか。

文/佐藤輝

参考/引用
『マイルス・デイビス自叙伝Ⅱ』(マイルス・デイビス、クインシー・トループ著/中山博樹訳/宝島社)