脚本についてのんが指摘したこと

――それを前提にネタバレにならないようにお聞きしたいのですが、家族になれるのか、ならないのか、受け入れられるのか、あるいはそれを拒否されるのか、見ている者がいろいろと予想する中、ラストがその時点での幸福感で終息します。これもまた監督の意志なわけですね。

最初は(大貴と恋人の母親がこじれ、兄妹だけで語らう)夜の河原のシーンで終わったんです。しかし、のんさんにオファーした時に、いくつか脚本の懸念点を指摘されたんですね。「いい脚本だけど、こことここがより良くなりませんか?」というように。

そこで脚本会議を開いて、納得できる案を生み出せたので、中盤の回想とラストの帰結を変更しました。まああれがハッピーエンドなのか分かりませんけど。もしかしたら、不幸の始まりかもしれない。

――その答えは、やはり監督の中で人間は幸せになるべきだというポジティブな回答が常にあるということでしょうか。

最近、様々な表現において、良きもの、善いものに対して、それは建前だろうという忌避感、拒否感があまりにも多く流通していないか、という思いが僕の中でありました。偽善への過剰なおそれというか、露悪的なホンネ礼賛というか。

そりゃ究極を言えば、ガス室で子供を押しのけて親が 1番上まで行って助かろうとしていたしていたとか、その最悪の命の危険に面したら個体としての自分が勝ってしまったりするのは、もう当たり前なんですけど、そんなことをわざわざ 2 時間かけて映画でも聞かされたいのか。

今の社会に蔓延する冷笑主義があまりにすごくて、その力学が働きすぎている。結局みんな自分が大事っていうことはあったにしても、それかベタだと言われたとしても、何らかの光というのはあるべきじゃないかという思いです。

結婚を控える妹・希と並んで歩く大貴。長年支え合ってきた兄妹にも、人生の転機が訪れる(映画『平行と垂直』より)©2026「平行と垂直」製作委員会
結婚を控える妹・希と並んで歩く大貴。長年支え合ってきた兄妹にも、人生の転機が訪れる(映画『平行と垂直』より)©2026「平行と垂直」製作委員会
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――その光がどういうシーンなのかは、映画を観てもらうとして人が人を受け入れるということは、世界中で排外の毒が回りつつある今、必要なテーマだと思いますね。

人と人とは、生きていれば絶対にぶつかりますし、分かり合えないこともあるのをそれでも息継ぎしながらどう生きていくか。この映画はそのモチーフとしてASD がありますが、苦労を乗り越えて幸せにという単純なものでもありません。

人間は急に湧いてきたわけではないし、万世一系でもない。地球上に現存する生命体は40億年の歴史を経ていますが、有性生殖生物は混血しないと生きていけないので、純血なんてありませんし、生き延びていくためにもどんどん交わって異者を受け入れることが大事だということですね。

取材・文/木村元彦  ©2026「平⾏と垂直」製作委員会

「平⾏と垂直」公式 HP︓https://www.toei-video.co.jp/heikoutosuichoku/