「不器用でもいい」他人と比べず、自分のペースで生きる
――本書には、「アイデンティティ」にまつわる物語も多く見られました。たとえば第4話「小さいのと大きいの」では、カンガルーのなかでも小型なワラビーの少年が主人公ですが、体が小さく、ジャンプもあまり上手にできない彼は、体型に恵まれた大型のアカカンガルーたちに対して劣等感を抱いている。
しかし、その劣っていると思っていた部分が、のちに「個性」として認識されていくことになります。
ドリアン助川 少年は、「なぜ自分は小さなワラビーとして生まれてしまったのか?」と悲嘆に暮れている。そういう意味では、自分と他者との「比較」をめぐる物語なのですが、実はもっとも伝えたかったのは、不器用でもいいから自分のペースでやっていけばいい、というメッセージだったんです。
——コケて怪我をした主人公のぎこちない跳躍が、奇しくもまわりの目には「オリジナリティあふれるダンス」と映って、彼と同じステップで「一緒に踊りたい!」という者たちを次々と引き寄せていきますよね。
そして、その群衆は、次第に宗教さながらの熱気を帯びていく。つまり彼は、怪我の功名から偶発的にアイデンティティを確立することになったわけですが、ここには、どんな哲学的なテーマが込められているのでしょうか。
ドリアン助川 この物語は、老子の「すべては相対的である」という教えがベースになっています。つまり、何事にも相手がいて、自分がいて、その間で価値観は揺れ動き続ける、ということです。
でも、話のコアの部分は、僕の実体験に拠っています。40代の頃、運動不足を反省して、久しぶりに多摩川の土手でも走ろうと思ったのですが、贅肉がついていて体も重いし、膝にもくるし、これはキツイなぁと。
そこで、走るのは夜だし、他の歩行者の迷惑にもならないだろうと、ほぼ歩きに近いくらいの極端に遅いスピードで走ってみたんです。そうしたら、ぜんぜんつらくないんですよ。「これはいい」と続けていたら、いつの間にか贅肉も落ちて、普通に走れるようになっていました。
当時、朝日新聞で連載していた人生相談のページにこの経験を書いたら、これが評判がよくて、たくさんのお手紙を頂戴しました。なかでもびっくりしたのが、熊本に住んでいるおばあちゃんからのもので、「ドリアンさんを真似てゆっくりゆっくり歩くことを続けていたら、それまで杖をついて歩いていたのに、今はジョギングができるくらいになりました」って!
——この物語さながらの展開が、現実にもあったのですね。
ドリアン助川 現代は何事もスピード重視ですけれど、自分のペースでゆっくりとやることがよい結果を生むこともある——それを伝えたくて書いた物語です。この考え方は、僕のなかで「ゆるゆる教」と命名されました。その経験以来、ずっと心の拠りどころになっています。
取材・文=辻本力 絵=溝上幾久子
後編〈「睾丸が腹部の3分の1」の動物に衝撃〉ドリアン助川が3、4年悩んだ物語…“下ネタ”から哲学にたどり着くまで に続く













