『Tシャツが乾くまで』が“考察”させるものとは
『Tシャツが乾くまで』で演出を手掛ける土井裕泰氏は、インタビューで「いろいろな見方があっていい」としつつ、「ちょっとした場面で少し映り込んだものさえも、何か意味があるように捉えられてしまう状態」なので、緊張しながら撮影していると話している。
視聴者による考察は、いまやドラマ制作の現場にも影響を及ぼしているようだ。
一方、脚本を手掛けた生方氏は、公式サイトに掲載されたコメントで、本作についてこう記している。
「人間関係と家電にはフィルターが多い。だから便利で、そして手間がかかるのだと思います。共感や感動を目指した物語ではないので、人間観察の感覚でお楽しみください」
第1話では、好意を持つ相手の欠点に気付かない状態を「好きな人フィルター」と表現していた。そして最終回直前の第9話では、自宅の洗濯機の乾燥フィルターが破れたことをきっかけに、咲子が充に別れを切り出す。人間関係と家電の「フィルター」を重ねた、象徴的な場面といえる。
考えてみれば、本作の登場人物たちは、誰もが相手を自分なりの思い込みや期待を通して見ている。
咲子は充を、樹生はあずさを、自分が知っている相手だと思っていた。しかし物語が進むにつれ、それまで見えていなかった一面が次々と明らかになる。そして視聴者もまた、「この人は怪しい」「この人は信用できる」と、自分なりの“フィルター”を通して登場人物を見てきた。
だからこそ、本作で描かれる“謎”は、単に「何が起きたのか」という事件の謎だけではない。
なぜ、この人はこんな行動を取ったのか。なぜ、この人を好きになったのか。なぜ、離れられないのか。あるいは、なぜ突然いなくなってしまうのか。
『Tシャツが乾くまで』が本当に描こうとしているのは、そんな“人間そのものの謎”なのではないだろうか。生方氏の言う「人間観察」とは、考察ドラマのように答えを当てることではなく、簡単には答えの出ない人の感情を眺め、考え続けることなのかもしれない。
9月11日放送の最終回では、果たして誰がどのような選択をするのか。
登場人物たちは、相手にかけていた“フィルター”を外すことができるのか。事件や関係性の真相だけでなく、最後にどんな“人間”を見せてくれるのかに注目したい。
文/ノブユキ
















