妻が別れてくれない

「君の生活は保証する。俺はこれから老人ホームに入る。俺と別れてくれ」

「嫌だ」

半年ぶりの会話は終わり、私は自分の部屋へ戻った。とほほ。

妻はいい人なのだが頑固だ。そして私に興味がない。何を考えているのかもわからない。30年も冷たいお互い無視の関係を続けて、なぜ私と別れないのか? 彼女は私より16歳年下で、60歳になるところ。まだいくらでもやり直せる。

「平野さんのことをまだ愛しているからではないですか?」。そう言った若い人もいるが、馬鹿を言ってはいけない。「あなたを愛してる」なんて彼女が言うわけがない。

離婚訴訟も考えた。会社の顧問弁護士に事情を話すと、30数年もセックスを拒否されたら勝てる可能性があるという。妻にしてもマンションを買うぐらいの慰謝料は取れるわけだから、訴訟を起こすのがお互いにとってベストなはず。でも私も、そこまでは思い切れなかった。

それでもやはり、この女とは暮らしたくない。

写真はイメージです 写真/Shutterstock
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友達の多くが死んでいく

70代になってから、老いと死を身近に感じるようになった。老眼で本が読みづらい。坐骨神経痛で足腰が痛い。認知症の始まりなのか、もの忘れをする。

友人、知人の多くが死んでいく。2017年には、ロフトの常連だったミュージシャンの遠藤賢司が70歳で亡くなり、トークライブハウス「ロフトプラスワン」にも出演した元赤軍派の塩見孝也が76歳で亡くなった。大好きだった塩見さんの死はこたえた。

塩見さんとロフトプラスワンで激論を交わした新右翼・一水会元顧問の鈴木邦男も、病院で療養中。何度か見舞いに行くが面会謝絶となる。2019年だったか、鈴木さんがおでこにこぶを作って現れたことがあった。柔道三段、合気道三段の鈴木さんが、あろうことか店の前でつまずいて転んだという。当時75歳。その後も何度かロフトのステージに上がってくれたが、様子がおかしかった。やがて鈴木さんの療養生活が始まる。

2019年には、ヘアヌード写真集の仕掛人として知られた出版プロデューサーの高須基仁も71歳で逝去。高須は私と同じ中央大学の3年後輩で、彼も学生運動の闘士だった。ロフトプラスワンにもよく出てくれた。

相次ぐ友の死。生きる張り合いが失われていく。次は自分の番かと思う。

年齢でいえば、私の父も76歳で亡くなっている。母が62歳で亡くなった後、私の兄弟は家を出ていたので、私は老いた父と暮らしていた。

父は施設に入るほど衰えてはいなかったので、私が最後まで面倒をみた。介護というほどの苦労はなかったが、今思うとあれも介護だったのか。

私も76歳、父の享年と同い年になった。いずれ足腰が立たなくなり、1人では生活できなくなるだろう。このまま行けば、妻に介護されることになる。30年も無視してきた相手に?

とてもではないが身を任せられない。

結婚している3人の息子の誰かが、私の面倒をみる? 冗談じゃない。家に寄り付きもしない息子夫婦が、介護なんぞするものか。私だって彼らの誕生日すら覚えていない。

文/平野悠

超高級老人ホームに入ってみた
平野 悠
超高級老人ホームに入ってみた
2026年7月17日
1,012円(税込)
224ページ
ISBN: 978-4-08-721421-5
日本屈指のライブハウス「ロフト」創業者が、千葉県鴨川市にある入居金6000万円の超高級老人ホームに入居した。
海が見える高層階に住み、館内は食堂、バー、図書館、露天風呂、ジム、カラオケ、ビリヤードなど高級ホテル並みの豪華施設が揃っているうえ、スタッフも親切で、提携する病院によるサポートも完璧、全く不満のない老後を送るはずだったのだが――。
わずか2年でそこを去ることになった著者が、富裕層の住人の知られざる実態と共に、自らの入居から退去までの顚末を面白おかしく、そして哀しく綴る体験記。

◆目次◆
第1章 「やすらぎの郷」を求めて
第2章 ここは天国か?
第3章 海と孤独と自由と
第4章 そして、ホームを出る
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