ライブハウスに訪れた存続の危機
その後、新宿歌舞伎町のホストクラブでのクラスターも報道され、「夜の街」すなわち飲食店は、「新型コロナ感染の場」として営業自粛を余儀なくされる。全国に2000あるといわれるライブハウスにも、存続の危機が訪れていた。
ロフトグループの休館も続いた。全店舗合わせて、当初は月5000万円の赤字。経理の話では、このままでは3ヶ月で倒産するという。半分以上、もしくは全ての店舗を畳むしかないと観念したが、社長の梅造から「ロフトは悠さんだけのものじゃない!」と猛反対される。友人や店の常連からもFacebook で「ロフトの灯を消さないで!」とのコメントをもらう。
本音を言うと、私にはもう事業への情熱はあまりなかった。27歳で小さなジャズ喫茶を開店してから、50年近く水商売を続けてきた。日本にライブハウスという文化を築き、坂本龍一、山下達郎、サザンオールスターズ、BOØWY等々、ロフトから綺羅星のようなミュージシャンが巣立っていった。
上場は考えなかったが、グループ全体で年商10億円に達するところまで来た。一方で私は歳を取り、今まで支持してきた反権力的思想をなくした日本の若者のロックには興味を持てなくなっていた。
今ここで店を手放せば、保証金は全て戻ってくる。損切りは早いに越したことはない。そして私はネット上で続くロフトへのバッシングに疲れ果てていた。
しかしそれ以上に、ロフトに関わる仲間たちの声は熱かった。行き場のない表現者たちが集う自由の空間。私の店はこんなにも愛されていたのか。
グループの正社員は50人、アルバイトは100人。見通しは暗いが、少なくとも1年は彼らを守る。会長は辞めたが、私はまだロフトの経営者だ。国金(日本政策金融公庫)と公的機関から当面の運営資金として2億円を調達した。
梅造社長の采配で、新たな経営方針も定まっていった。ネットで有料番組を月200本のペースで配信し、店舗は飲食物のテイクアウト販売に切り替える。無駄な経費はとことん削り、40数年も続いたフリーマガジン「ルーフトップ」も休刊。なんとしてもロフトの灯は消さない!
75歳、後期高齢者の仲間入りをした私。会社に本当に必要とされたのは、いつ以来だったか。











