「北朝鮮では幸せな瞬間は一時もなかった」
――まずはヤン監督に伺います。一読されて、どのようにご感想を持たれましたか?
ヤン 一気に読みました。まず構成が素晴らしく、在日朝鮮人や朝鮮の歴史についての知識がない人でも、スラスラと読めると思います。
そして何よりも、インタビューをされた書き手の石丸さんが、初めて中朝国境に取材に行かれた日からこの本の執筆に至るまでの人生があるからこそ、インタビュイーたちは壮絶な人生を赤裸々に語れたのだと思います。800人以上の脱北者を取材した石丸次郎に対する信頼と関係性が感じられて胸が熱くなりました。
帰国運動については、本にはできないエピソードもあったと思います。私にもあります。映画でも本でも、この対談の場でも語れないこともあります。
そのギリギリのラインを、石丸さんはじめ、携わった「『北朝鮮帰国者』の記憶を記録する会」の方々で掘り起こしてひとつの形にしたというのは、人権意識とフェアネス、生き延びてきた方々への敬意と愛情の塊です。安っぽい同情ではここまでの作品にはならないと思います。
石丸 本に書き入れたかったことは山ほどあります。帰国者たちがどういう精神で生きてきたのかをもっと書きたかった。インタビューしたそれぞれの人が印象に残っているのですが、最も言葉が心に残っているのはキム・ギュソクさん。
1938年仙台のお生まれで、革命家として生きようと北朝鮮に行った方です。北朝鮮の現実に幻滅しながらも製鋼所の溶解工に志願します。北朝鮮の民衆と共に在りたいと、重労働の最前線に立つという思いからでした。
北朝鮮に行ったら、社会主義を勉強しようと、日本から山のように本をもっていくわけですが、全部取り上げられてしまいます。トルストイの「戦争と平和」を読めたのは、脱北して韓国に入ってからのことで、「感激で胸が一杯になった」と語っています。
北朝鮮が90年代の飢饉の時代に入ると、日本からの仕送りがあって少し余裕があったキムさんのもとに、周囲の飢える帰国者から「一食だけでも食べさせてくれ」と懇願されるようになる。
しかし、施すと自分自身のお金がなくなる。家族を養うために、食べ物を乞う友人を遠さげ、言葉に耳を塞がなければならなかった。その時、自分が目指していたヒューマニズムや共産主義は一体なんだったのかと、すごく苦しんだと正直に吐露されました。極限に直面した時の帰国者の精神の一端を知りました。
インタビューではほぼ全員に、「北朝鮮にいる間、それでも幸せな瞬間があったのでは?」と尋ねました。多くの人が、「一時もなかった」と答えました。艱難辛苦の連続だったこと伝えるための修辞なのかもしれないので、そのまま受け取っていいのか分かりません。
「気の置けない帰国者の友人同士で集まって食べたり遊んだりした時が楽しかった」と答えが多かったのも印象的でした。というのは、安寧を感じた瞬間が「北朝鮮の中の日本」だったからです。
質問を変え、それでも子育ては楽しかったのでは? と訊くと、暮らしに余裕のあった人の中には「子供の成長が楽しみだった」という答えがあった一方、苦しい暮らしが続いた女性たちからは「産んだ瞬間から生活に追われて楽しかった記憶がない」という答えが多かった。
70年代に東京から帰国した女性の「日本で子育てをしていたらもっと楽しかったはずだ」という答えが印象に残っています。
北朝鮮に帰国して良かったという人もいたのでは? という質問もしました。裕福だった人も含め「一人もいないと思う」という答えがほぼすべてでした。自分の人生を切り拓く自己決定ができればまだしも、帰国者は全体主義国家に閉じ込められ、労働党と指導者に絶対忠誠と絶対服従を強いられる暮らしがずっと続いたわけです。
その重たさ、しんどさを読者に理解してほしいと思いました。















