数億円の寄付で金日成と写真が撮れる

ヤン うちは、兄が3人北朝鮮に帰国しました。現在はできなくなっていますが、2015年頃まで母が平壌に仕送りをしていたので、兄たちは、ある程度恵まれた生活をしていました。

しかし90年以降、朝鮮が経済的に破綻し、地獄のような時代に入ると、身内が朝鮮総連の幹部であることの意味がなくなっていきました。昔は、1億円寄付すると金日成と一緒に複数人で写真を撮れて、3億円、5億円になるとツーショットが撮れると言われたそうです。

金正日の時代はどうだったのかは分かりませんが、部屋に飾る金日成との写真が100人と一緒なのか、片手で数えられる人数なのかで、その人に対する認識が変わってくるような時代です。

兄たちも慈江道や両江道に行ったことがあるそうですが、平壌よりも悲惨な現状を目の当たりにし、気の毒に思って衣類などを渡してきたそうです。

私は高校のときに初めて訪朝し、兄たちと11年ぶりに再会しました。その時に平壌で与えられた面会時間が短すぎたのですが、大学のときの訪朝で初めていろんな話をしました。

北朝鮮・平壌(写真/shutter stock)
北朝鮮・平壌(写真/shutter stock)

兄たちが何を食べて、何を聞いて、何ができて、何ができないのかが知りたかったんです。その中で私が強烈に覚えている兄の言葉があります。

「ヨンヒも祖国に忠誠を誓えというような民族教育を受けてきただろうけど、決して感情的、感傷的になるな。何を見ろとか、どう考えろとかは言わない。それは自分で判断すればいい。見栄えの良いところにしか連れて行かれないだろうけど、その中でもなんとか現実を見る努力をして欲しい」

要するに国家による感傷的なフレーズやプロパガンダにに流されるなと言われました。兄たちがそう言ってくれたのがすごく嬉しくて、「望むところや」という心境になりました。だからあの巨大なマスゲームを見ても、マスゲームを終えてスタジアムを退場し、疲れ果てた様子の出演者の方々に目がいったりしました。

訪問の回数を重ねるうちに、家族や親せきだけではなく、彼らの友人や同僚、同じアパートの住民とも徐々に話すようになりました。毎日のようにタクシーに乗って、外貨食堂や外貨銭湯、ボーリング場に行ったりするものだから、姪や甥たちにとって私の祖国訪問期間はお祭りなんです。

アパートのご近所さんも、そういう私たちのことを見ている訳です。嫌な言い方ですが、妬まれないように事前に贈答品を渡すんです。食料品やお酒、タバコ、衣類などでしょうか。

母が、長兄が入院していた平壌の病院の医者や看護師に至るまで、医学書や靴など、たくさんのお土産を贈っていたように、私もアパートの人たちに物をたくさん贈りました。