北方先生、どこまでやるんだと思った
──今回は魯智深の話から始めましょう。五巻では大きな転機を迎えます。
木村達成(以下同) 魯智深は北に向かったまま行方知らずになっていたんですよね。梁山泊の軍師、呉用が拠点をつくりたいと北に向かい、魯智深が宋を出て隣の遼という国に入ったまま帰ってこないことを知る。しかも賊徒の長、鄧飛が単身で魯智深を探しに遼に入る。
その鄧飛が魯智深を救出するくだりにはのめり込みました。鄧飛がすごいんですよ。物乞いのかっこうをして街から街へと移動して、とある街で糞尿を片づける下働きをしながら潜入すると、牢屋で魯智深を見つける。魯智深を脱出させ、舟で川を下り、舟がだめになれば走って海に出る。見つけた船に乗り込み、ひたすら西へ漕ぎ続ける。あの熱量がたまらないですね。
鄧飛は、最初は「激ザコなキャラだな」と思ったんですよ(笑)。魯智深の錫杖に鎖鎌を絡めとられて秒で打ち倒される。でも、「激ザコ」が頑張るからこそいいんです。魯智深にあっけなく倒される場面があったから、その後の脱獄がより輝きましたね。
──魯智深が脱獄するために自分の手首を切るシーンは凄絶でしたね。
鎖を外せないから、自分で切るんですよね。そこから脱出して、やっと安全な場所にたどり着いた後も命の危険があり、安道全に肩から腕を切るしかないと言われる場面もすごかったですね。
「左腕を、肩から切り落とすぞ、魯智深。痛みをやわらげる薬はあるが、それを遣うことはできん。できるだけ気持をしっかり持って貰いたい。それが、必要なのだ」
「安道全か」
「すぐにはじめるが、暴れられても困る。林冲らに躰を押さえさせる」
「必要ない。起こしてくれれば、俺はここに座っていよう。なにがあろうと、暴れたりはせん」
「しかしな」
「やってくれ。暴れたら、俺が死ぬだけのことで、そしてそれは俺のせいなのだ」
(北方謙三『水滸伝』第五巻「玄武の章」集英社文庫 p213)
安道全は小刀で肉を切り裂いていくんですけど、魯智深は「微動だにせず、声もあげなかった」し、腕を切り落とした後も、「魯智深は、額にわずかな汗を浮かべているだけだ」。この一文はヤバいですよ。
しかもその後、切り落とした自分の腕を焼いて、林冲と食うんです。林冲が「魯智深は、うまいぞ。銭に困ったら、右腕も売れ」って言うんですよ。
腕を切り落とすっていう、映画の『ソウ(SAW)』みたいなシーンが来たと思ったら、その後に、林冲が薄く切った肉を火鉢の炭で焼いて、塩をつけて口に運んでる(笑)。
捨て身のギャグですよ、あれは。北方先生、どこまでやるんだって思いました。
──原典にあるのかなと調べたら、北方先生の創作だそうです。すごいことを思いつきますよね。痛みに耐え抜いた魯智深に驚いている安道全に、魯智深が「痛みが、心の中のなにかを癒す。そんなこともあるのだ」と言うのも印象的でした。
その部分には僕も付箋を貼りました。その言葉の少し前、林冲が安道全にこう言うところも好きですね。
「安道全。おまえは、人がこうだと決めてかかっている。そうではない人間がいる。いや、そうではなくなることができる、というのかな。魯智深はそうだ。俺も多分、腕を切り落とすぐらいなら、耐えられる」
(北方謙三『水滸伝』第五巻「玄武の章」集英社文庫 p219)
禅の言葉みたいな深さを感じますね。
あと、魯智深が魯達に改名するところもよかったですね。自分の腕を食ったような男が坊主は続けられないだろうと林冲が魯智深に言って、坊主になる前の名前にしろと勧めるんですよね。魯智深が返した言葉が「悪くないかもしれんな」「いろんな着物が着られる」(笑)。いいなあ。














