中学までは順調にエリートコース
取材当日、みぞのりほさん(本名:吉松希美)は「ええと、どこから話せばいいですかね」と唸った。
7回の浪人と1回の留年と4回の退学……学歴は本人すらさかのぼるのに苦労するほど紆余曲折があるが、中学生までは図抜けた学力の持ち主だったという。
「中学時代に知能指数(IQ)を測ると、各検査項目が満点で、IQ180という数値が出たのを記憶しています。確かに、勉強はよくできました。小学校受験をして鹿児島県内トップの小学校へ進学して、内部進学がなかった附属の中学校へは中学受験して合格しました。
勉強以外でも幼い頃からやっていた音楽にものめり込んで、小学校のときには吹奏楽の全国大会に出場しました」
県内トップの小学校から、附属の中学校に進学するところまでは何の変哲もないエリートコース。学力に加えて、音楽の才能にも恵まれた。
その後、高校受験では音楽科のある高校へ進学したが、「不良が多かったから」とわずか3か月であっさり中退。17歳で鹿児島県の名門・鶴丸高校に入学した。
県内有数の名門校においても、相変わらずペーパーテストの点数は全教科でハイスコアを叩き出していたみぞのさん。しかし、この頃から徐々に雲行きが怪しくなる。精神的に苦しさから、高校に通うのが難しくなったのだ。
「昔から勉強や音楽以外にも、さまざまなことが器用にこなせるタイプでした。たとえば中学時代には足が早くて、駅伝部に助っ人として駆り出されて陸上部の顧問からスカウトされたこともあります。でも、その分、大人から期待されるのが怖くなったんですよね。
だんだん学校を休みがちになり、あるとき、出席日数を計算すると鶴丸高校を卒業できないことがわかりました。それで思い切って高校を辞めました。
高校在学中に高卒認定試験はパスしていたのですが、留年して高2だった18歳から23歳までの5年近くずっと家に引きこもっていました。大学受験をしようと願書を出しても、試験を受けないといったこともありました」
大学受験を経てようやく明治大学に入学できたのは、24歳のときのこと。しかし再び履歴書の学歴欄が忙しくなる。
「入学した学部は自分が学びたかった学問と違ったので、すぐに明治大学を辞めました。そして音楽科があるという理由で東京学芸大学へ入り直しました。でも周囲が教員志望の学生ばかりで音楽に傾ける情熱に温度差があったので再び辞めて、明治大学に入学し直したんです。
大学を卒業するときには、29歳になっていました」
あふれる才能がありながら、どこか不器用で不安定。もしかすると、その生育歴も無関係ではないかもしれない。
「高卒の父とは折り合いが悪いのですが、父もまたIQがとてつもなく高かったそうです。
他方で父の兄は大学教授として勤めた秀才で、父はそのコンプレックスからいつも私に『名門校へ行け』と言っていました。
当時、私が音楽科のある高校へ進学したときも、父はことあるごとに『(進学校の)鶴丸高校へ行けばよかったんだ』と口にしていました」