定型化する「ノンフィクション作品」への反発

これも、一種の「同調圧力」なのだろう。高橋さんは前作『つけびの村』のあとがきでも、大文字で語られる「ノンフィクション作品」に見られがちな定型への反発を記していた。

「何かを知りたいと思ったときに、まずその気持ちを正当化する動機がなければいけないというのは、ちょっと窮屈だと感じています。誰か、他人から『意義のある、立派な行為ですね』とお墨付きをもらわないとやってはならない、なんて決まりはないと思うので」

そこで今回は〈建前〉や〈動機〉や〈正義感〉をそれらしく付け加えることはせず、ただ自分の興味に的を絞って、『逃げるが勝ち』を仕上げた。その結果、大ベストセラー漫画『ゴールデンカムイ』に登場する白石由竹のモデルとなった日本最強の脱獄囚・白鳥由栄、警察署の留置場から脱走して自転車旅を楽しんだ山本輝行(仮名)、松山刑務所(大井造船作業場)に抗議するために離島に潜んだ野宮信一(仮名)の逃走劇が選ばれた。

フリーライターとしての高橋さんの執念は、本書に充満する異常に細かな固有名詞に表われているだろう。

食べ物を得るため、各地の道の駅で万引きを繰り返していた山本が唯一、なけなしの現金を使って購入したお菓子は何だったのか。逃走中、山本は全部で5回も職務質問を受けている。どうやって、彼は警官の追求を逃れたのか。あっと驚く真相に、ミステリー小説の手練れとして知られる道尾さんも脱帽するばかりである。

〈道尾:この本を読んだ人みんなが感じると思うんですけど、もしも小説で書いたら、読者の怒りを買いそうな出来事がたくさん出てくるじゃないですか。「なんだ、こんなリアリティのないものを書きやがって」と、クレームをつけられるような(…)例えば山本さん(…)第3章に書かれている「リアルな理由」を、もし僕が小説で書いたなら、編集者とか校閲さんから赤字が入ると思います。「いくらなんでも警察が間抜けすぎでは?」とか〉

でも、それこそが「リアル」なのだ。