「あなたは頭が悪いから」
やがて、彼が小学校中学年くらいになると、継母から家事をやらされるようになった。「あなたは頭が悪いから、勉強が必要でしょ? まずは家のことをやりなさい」という指示だった。頭が悪いという言葉を、継母は彼に対して頻繁につかっていた。
私が思わず、「そんなことが?」「それはひどいですね」と呟いていると、それに反応した彼が、「血がつながっていないと、こういうものじゃないんですかね? 僕は、それが普通だと思っていましたけど。自分も出来が悪いんで。継母の求めるレベルに達していなかったんでしょうね」と言った。
彼が高校生のとき、父親の経営する工場の業績が悪化した。原因は、会計を担当していた継母の私的流用だった。取引先に支払うためのお金にまで手をつけてしまっていた。工場は信用をなくしてしまった。
詰問する父親に対して継母は、
「あなたの子どもには、お金がかかるの!」と、暗に原因は彼にあると訴えていた。
――父親が自殺したのは、数年後のことだった。彼が高校3年生のときだった。通夜、葬儀などの手配は、すべて彼が行った。「あなたの父親でしょ」と継母に言われたからだ。
継母から彼への心理的虐待は日常的だった。この言葉が凶器になる虐待は、子どもの心を静かに蝕んでいく。
なんとなく、漠然と、いつも「自分が悪い」という自責感が心に巣くう。慢性的な生きづらさが、緩やかにひろがっていく。目立つ虐待を受けているものとは明確に異なる、心の傷の結果である。
心理的虐待を受けている人は、そのほかの虐待を受けている人にくらべて、その生きづらさの理由が虐待の結果による心の傷だとも、受けていたものが虐待だったとも自覚しにくい。
それを虐待だと伝えても、理解していくまでに時間を要することもある。多くの場合で、本当に「自分が悪い」と思っているし、それを信じている。逆を言うと、そう思うしか心あたりがない。
そんな子どもが大人になって、精神科を受診することになったり、貧困に陥ったりして、そこでやっと虐待の傷が見つかることがある。彼も、そのうちのひとりだった。
彼の症状はうつ病かもしれないが、根っこにあるのは虐待による心の傷である。それが、治らないうつ病に「隠された事情」だった。
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に続く
#4 「強い義務感」と「情緒的消耗感」が徐々に体を蝕み…“虐待サバイバー”が燃え尽き症候群を発症しやすい理由
文/植原亮太 写真/shutterstock