パラスポーツが前を向いて歩く力を与えてくれる
晴れてサントリーに入社し、谷さんはCSR推進部(入社時は、スポーツ推進部)に所属します。入社当初は、アスリートにインタビューして記事を書いたり、サントリーオープンのゴルフトーナメントを担当をしたり、裏方のような仕事がメインでしたが、現在は自分の経験を伝えるスピーカーとして講演やイベント出演が中心に。活動は多岐に渡りますが、それぞれが「自分しかできないこと」と自負しています。
「社会貢献活動はサントリーとして大事にしている部分で、利益三分主義と言って、利益の3/1は社会に還元するのが企業理念。私の経験を伝えることは、自分自身のライフワークであり、草の根運動的に続けています。それが会社からも認められているのは嬉しいですね。震災以降、会社として何ができるかを考え、アスリートらと一緒に被災地の子どもたちとの交流を行なっています。
パラスポーツを通じて、困難に立ち向かっていける。パラスポーツが前を向いて歩いていける力を与えてくれるんじゃないかと期待しています。私自身がずっと感じていたことを事業として継続できることにやりがいを感じますし、感慨深くもあって。イベントに参加した人からの感想も一人一人感じるポイントが違っていて興味深いんですよ。それぞれの言葉がとても愛おしいです」
その中で特に嬉しかったのが、谷さんを主人公にした劇を小学生が学芸会で演じてくれたこと。
「(谷さんの著書の)『夢を飛ぶ』(岩波ジュニア新書)が教科書に載っていて、近所の小学校が学芸会でそれを発表してくれたんです。おそらく先生が台本を作ってくれたんだと思います。残念ながら直接観ることができなかったのですが、終わってから子どもたちのランチタイムにサプライズで行きました。教科書に出ている方って、亡くなっている方も多いじゃないですか。今生きてチャレンジしている過程だからこそ伝えられることもあるのかなと思っています」
病気を克服し、自分で行動を起こすことの大切さを実感
谷さんはアスリートとして入社していないため、普段のトレーニングや合宿の計画は自分で立て、施設や宿の予約も全て自分で行います。働き方と競技とのバランスも、会社と相談しながら進めています。
「パラアスリートも今は、サポートをきちんと受けている選手は多いと思います。2020年までオリンピックバブルがあって、企業はたくさんのアスリートを雇いました。競技がメインで、サブ的に仕事をする感じですね。私が入社したのは18年前だったこともあり、基本9時に出社して14時15時に退社。その後に練習をします。会社には、たくさんサポートしてもらってきたので、恩返しをしなきゃと活動してきました」
スポーツと共に育まれた人生。その中で学んだことは、目標を立てること、自分で決めること、病気を克服してからは行動を起こすことの大切さを実感しています。
「目標を立てることは、小学生で水泳に挫折した後に感じたことでした。水泳を途中で諦めてしまった後悔があったのも大きかったです。スポーツは定期的に大会があるので、それを目標にするのが分かりやすいですね。自分で決めることは、親はいつも私の決断を受け入れてくれたのがありがたかったです。病気を通じて一番変わったのは、自分で行動を起こすことですね。自分で人生を作っていかないといけない。そのためには、自分で積極的に動くこと。出会いが全て、出会いが自分を作っていくんだと思うようになったことで変わりましたね」
(後半では、東京招致のスピーチについてや東京オリンピックパラリンピックを振り返って思うこと、競技と育児との両立についてお話を伺います。どうぞお楽しみに!)
谷真海さんの年表
1982年 宮城県気仙沼市で生まれる
6歳 小学校入学と同時にスイミングを始める
13歳 中学校に入学。陸上部に入る
16歳 仙台育英学園高校特進コースに入学。高2の時に、陸上部に入る
19歳 早稲田大学商学部に入学。12月に骨肉腫と診断される。3カ月の治療を経て手術、右足膝下を切断。半年の抗がん剤治療を経て、リハビリへ
20歳 10カ月後に復学する
22歳 早稲田大学卒業。サントリーホールディングスに入社。アテネパラリンピックに出場。走り幅跳びで9位
26歳 北京パラリンピックに出場。走り幅跳びで6位
29歳 早稲田大学大学院に入学
30歳 ロンドンパラリンピックに出場。走り幅跳びで9位
31歳 ブエノスアイレスで開催された、IOC総会の東京招致の最終プレゼンテーションでスピーチ
32歳 結婚
33歳 長男を出産
34歳 競技をトライアスロンに変更
39歳 東京パラリンピックに出場。パラトライアスロンで10位。日本選手団旗手を務める
撮影/高村瑞穂 ヘアメイク/久保フユミ(ROI) 取材・文/武田由紀子
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