来日後の英会話教室で運命の出会い

――ウィッキーさんはなぜ、日本へ来たのですか?

私は1961年に当時の文部省の国費留学生として初めてスリランカから日本に来日し、東京大学などで海洋水産について学んでいました。
駒場の留学生会館に住んでいたので家賃はかかりませんでしたが、国からの生活費は月2万5000円。生活が苦しいけど留学生だからバイトは禁止。文部省にバイトの許可をお願いしに行ったら「勉強に関係する英会話講師のバイトなら目をつむる」とのことで、渋谷の英会話スクールで働くようになりました。
当時は1964年の東京オリンピック前で英会話学校が流行っていたんです。

――そもそもウィッキーさんは英語をいつ習ったのですか?

私が生まれ育ったスリランカは当時イギリスの植民地(1972年に完全独立)で、英語が公用語でした。
まだ戦争のなごりがあった時代で、留学先が日本に決まったときは、女友達のお父さんから「お前は敵国に行くのか! もうウチの娘はやらん」とすごく怒られました。まぁ、日本の英会話学校で教え子だった今のワイフに出会えたんだから、その娘さんをもらわなくてよかったですけど(笑)。

かつての“朝の顔”ウィッキーさんは今?。白人女性起用のはずの『ズームイン!!朝!』に抜擢された衝撃のテスト撮影ハプニング「おばちゃんに“tax”を聞き間違えられ…」_2

――運命的な出会いです。

はい。「ワンポイント英会話」に出演するきっかけも英会話学校でした。
後に『ズームイン‼︎朝!』で私を起用してくれる日テレの澤田隆治プロデューサーの奥様が偶然にも私のクラスにいたんです。
テレビは“一家に1台”という感覚がようやく浸透した時代で、憧れてたから、「1回でいいからテレビに出てみたい! 旦那さんに聞いてくれませんか」と、奥様に猛烈アピールしました。

でも当然だけど最初は断られました。ところが、ある時「夫の担当する番組の通訳をしてほしい」と頼まれたので快諾して、それから澤田さんとは家族ぐるみでお付き合いすることになったんです。