一部報道に「色々と書かれて(捜索の)邪魔をされた」
一連の経緯を巡って、一部報道では里親の虐待疑惑や実家のネグレクト疑惑が報じられたが、里親は疑惑を否定。壱岐の地元関係者や留学制度事務局なども揃って「疑惑」に首を傾げていたことは♯1、♯2で伝えた通り。
さらに、隼都さんの実父も「報道やSNSで世間に広まった誤解をきちんと解いておきたい」と集英社オンラインの取材に応じ、インタビューは約3時間にも及んだ。
取材場所でもある茨城県の実家で、実父の椎名さんは一軒屋にひとり暮らし、仕事は医療従事者で昼夜問わず懸命に働いてきた。
リビングの壁や天井には、生前の隼都さんが集めたというポケモンのぬいぐるみが20個以上置かれ、中央のテーブルの横に設置された祭壇には菓子やぬいぐるみとともに微笑む隼都さんの遺影が飾られていた。
実父は記者の質問に対して一つひとつを噛み締めるように丁寧に答えた。
――これまでの報道やSNSなど「世間の反応」へ憤りはありますか?
捜索当初からSNSでAさんや自分が攻撃されて、その対策会議を壱岐市の教育委員会と先生方が何度か行っていて、呼ばれました。早朝や日没後です。
隼都は人目を避けて、実際はそうした時間帯(早朝や日没)に行動しているんじゃないかと思っていて、本当はその時間帯を一番重点的に探したかった。それを、世間への(誹謗中傷やデマ情報への)対応で削られてしまったのがすごく悔しかったです。
警察も虐待から逃げたという可能性も考えて子供たち全員に聞き込みをしていましたが、週刊文春の記事やSNSの書き込みの影響で「虐待はなかった」と判断するまでに、時間がかかってしまったんだと思います。
心ない中傷に、みんな精神的にも参ってしまって、Aさんの奥さんも不眠やめまいが続いて泣き出すなど、気持ちが不安定になってしまいました。捜索に専念したいのに、色々と書かれて邪魔をされたと感じています。
3月3日からは島内放送を使って捜索をしました。隼都は目立つのが嫌いで、その性格を考えると余計隠れちゃうんじゃないかという不安もあったけど、命の安全を重視しようという事で放送することを決めたんです。
そういう細かい所も気遣いながら捜索していたのに、島内のある人がSNSに「隼都が逃げたのは里親が虐待したからだ」と隼都の顔写真付きで投稿したんです。無事に見つけ出せたとしても、隼都は将来生きにくくなるんじゃないかとか、いろんなことを考えて動いていたのに、その人は自分やAさんや教育委員会など、どこにも相談せず勝手に載せた。
隼都が壱岐からは出ていないというのは捜索当初からわかっていたので、あえてネットには流さず、ビラを使って島内で捜索していたんです。なのにネットに出してしまったら一生残ってしまうので許せなかったです。
その方のSNSでの投稿内容は一方的で、ウラもとれていないAさんへの攻撃的な内容ばかりで、それに隼都が利用されて、自分もとばっちりを受けています。
――Aさんの虐待をとりあげた記事をみてどう思いますか?
記事は、信用できない証言を大々的に取り上げている感じはします。証言をした子は、もともとAさんの行動を全部疎ましく思っていたのでしょう。
例えば、Aさん宅の食事はオードブル形式で好きなものを取って食べるんですけど、彼の好みに合うものが少なかったから「食事が少ない」という表現をしたのかなと。
湯船に浸かれずシャワーの時間が「5分だった」と文春の記事に書かれていましたが、別の記者には「3分」と伝えていて、証言がコロコロ変わっている。それにどう考えても言い過ぎだし不可能じゃないですか。さらに、文春は私に対しても「Aさん宅で虐待があったことについてどう思いますか」と決めつけて質問をしてきたので、呆れてしまいました。