中国語を勉強したくて中学卒業後も壱岐に残ることを決意
――隼都さんを里親に預けて離島留学させるようになった経緯を教えていただけますか?
隼都は小学生の頃から、内気で引きこもりがちで運動神経も良くなかったせいか、自信のない子になり、ゲームに依存するようになりました。
隼都が中1の時に私が離婚をして2人暮らしになると、その傾向が顕著になった。一緒にいる時は良い子なんだけど、私が夜勤で家を空けると、夜中や朝方までゲームをして、学校をサボりがちになり、勉強も疎かになっていきました。
ただ自分が家にいる時は大丈夫だったので、誰かの目が届いていれば改善するのかなと思ったのがきっかけです。
「いきっこ留学制度」なら寝る時も2人とか3人だから常に他人の目がある。隼都自身にもゲーム依存症の自覚があって、自ら「頑張りたい」と言ってくれたんです。環境が変わることで友達作りも上手くなってくれるかなとか、親心としてはいろんなことを経験してほしかった。そして中2の夏休みに壱岐に見学に行って留学を決めました。
――壱岐に見学に行った際に、隼都さんとお父さんの再婚相手の2人で学校を見に来ていたと報道されてますが、その時のことでしょうか?
その頃、お付き合いしていた女性がいて、文春で報じられたのはその方のことだと思います。
しかし、壱岐に見学に行ったのは自分も含めた3人で、その女性と隼都の2人きりではありませんし、そもそも再婚もしていません。
その方は隼都が帰ってくるという話をするとあまりいい顔をしなかったので、隼都が中3のときに別れています。思い出したくもないのに間違った情報で掘り返されて、それがどんどん広がってしまってうんざりです。
――島に来てみて隼都さんはどんな様子でしたか?
隼都は見学の時点ですでに壱岐を楽しみつつ、新しい環境に少し不安も感じていました。それでも「自分を変えたい」と留学を決めました。
本当は私の方がひとりでいるのが苦手なタイプなので、隼都とは一緒にいたかったんですよ。だから高校生に上がる時には、内心は茨城に帰ってきてほしくて、茨城の高校に相談して願書までもらっていました。
でも隼都は壱岐に残ることを決めました。中国語の勉強をしたくて、壱岐高校にはアジア・中国語コースがあるからそこに通うと決めたんです。
Aさんと親子のような関係を築いていて、そこにまだいられる安心感もあったと思います。だから無理に帰ってこいとは言えませんでした。
壱岐高校でもテニス部に入ったと聞いて、自分が直接教えてあげられないのが辛かったです。私も中高生時代はテニスをやっていて、隼都にテニスを教えたいというのが父親としての夢でしたから。
――壱岐に留学をして隼都さんは変わりましたか?
中学に転入してすぐの頃は学校に慣れるまで大変だったみたいですけど、高校はすごく楽しいみたいで笑顔も増えたし、自信を持つようなってきました。
テニスをしている時の写真を見ても、すごくいい笑顔なんですよ。また誰にでも優しくて敵を作らない子でしたから、部活では先輩にかわいがられるだけじゃなく、後輩の面倒見もよくてすごく慕われていたみたいです。留学の目的の一つだった友達作りは上手くいってたんだなと感じました。
高2の夏休みに茨城に帰省したときは、テニスコートを借りて2人でテニスもして、私の願いが叶いました。隼都は非力なので、下から打つ跳ねないサーブを特訓していたみたいで、すごくうまくなっていました。ラリーはまだまだでしたが、サーブは私でも拾うのが大変なくらい上手でした。
高2の冬休みに帰ってきた時も元気で、思い悩んでいるようには見えなかったので、クラスでもうまくやっていたんだと思います。文化祭でも派手な仮装をしてクラスの人気者になれたみたいで、本人はすごくうれしかったようです。Aさんの家でもハロウィンとかクリスマスに、この仮装をして笑いを取っていたそうです。