二輪ロードレースの世界最高峰MotoGPには、現在6メーカーが参戦している。日本企業のホンダ、ヤマハ、スズキ、イタリアメーカーのドゥカティとアプリリア、オーストリア企業のKTM、という6つの陣営だ。MotoGPはレース専用のマシンで戦う競技だが、メーカー間の勢力関係はおおむね各社の企業規模に比例しているといっていい。
ホンダは、2013年に史上最年少記録を塗り替えて20歳で世界王座についたマルク・マルケスが、6度のタイトルを獲得している。1990年代から連綿と、圧倒的な強さを見せつけてきた陣営だ。
ヤマハは、昨年限りで引退したスーパースターのバレンティーノ・ロッシが華々しい活躍を披露して世界中の人々を魅了してきたが、昨年の2021年は次代を担うファビオ・クアルタラロがフランスに初の世界最高峰タイトルをもたらした。その前年2020年は、スズキのジョアン・ミルが企業創立100周年という節目にタイトルを獲得する劇的なシーズンだった。
200戦目と20年越しの初勝利! 劇的すぎるMotoGP第3戦アルゼンチンGPレポート
スポーツは多くの人々を惹きつける。おそらくその大きな理由のひとつは、「事実は小説よりも奇なり」を地で行く、予想を超えたドラマチックな出来事にしばしば遭遇するからだろう。2022年のMotoGP第3戦アルゼンチンGPが、まさにそんな劇的な一戦となった。レース翌朝の月曜には「MotoGP」「アレイシ(今回の優勝選手名)」というワードが日本でもツイッターのトレンドに浮上したほど。では、このレースがなぜそんなに多くの人々の心を強く揺り動かしたのか。その理由を紐解いていこう。
“ひとり負け”状態が続いたアプリリア

数々の最年少記録を塗り替えたマルケスも、すでに29歳。続々と台頭してくる若手に脅かされる世代になった(写真/MotoGP.com)

2021年チャンピオンのクアルタラロ。昨年は速さと安定感を見せつけたが、今季もその強さを果たして継続できるか!?(写真/MotoGP.com)

2020年王者のミル。昨年は苦戦したが今年はバイクの仕上がりも良く、捲土重来に期待がかかる(写真/MotoGP.com)
彼らと熾烈な戦いを繰り広げるドゥカティは、昨年以来、フランチェスコ・バニャイアがタイトル候補の一角として大きな存在感を発揮するようになった。イタリアメーカーのマシンをイタリア人選手が駆るフルイタリアンパッケージで、ロッシの愛弟子としても大きな注目を集める成長株だ。また、今シーズンの開幕戦カタールGPではこのドゥカティ陣営のエネア・バスティアニーニが優勝を飾っており、押しも押されもしない強豪ブランドでもある。

開幕前はタイトル候補筆頭とも言われたバニャイアだが、序盤3戦は予想外の苦戦が続いている(写真/MotoGP.com)
第2戦インドネシアGPでは、オーストリア企業KTMのミゲル・オリベイラが、雨の中をスマートな戦いぶりで優勝した。ホンダやヤマハと比較すれば、KTMの企業規模はけっして大きくない。だが、MotoGPに参戦を開始した2017年以降、ホンダ、ヤマハ、ドゥカティ勢に負けない予算をレース活動に投下してマシン開発を進め、着実に戦闘力を向上させてきた。今季開幕戦では、オリベイラのチームメイト、ブラッド・ビンダーも2位表彰台を獲得している。

クレバーな戦いに定評のあるオリベイラ。KTM勢の課題はシーズンを通じた安定感(写真/MotoGP.com)
残るアプリリアはというと、これら5メーカーの後塵を拝し、大きく水をあけられてきた。二輪ロードレース世界最高峰の技術規則は2002年に大きく様変わりして4ストロークエンジンのMotoGP時代になったが、じつはアプリリアはその初年度に野心的な設計のマシンで参戦を果たしている。しかし、望ましい成果を一向に出せず苦戦が続いた結果、2003年限りでいったん撤退することになった。
その後、長いブランクを経て、MotoGPのファクトリー活動を再開させたのは2015年。ファクトリー活動、とはいってもレース現場のチーム運営は、前年までホンダ陣営のサテライトチームだったグレシーニレーシングに任せ、イタリア・ノアーレの本社から技術開発陣が帯同する、という変則的な形態を取っていた。そのため(だけでもないだろうが)、ライバルメーカーにはまったく歯が立たない苦しい戦いを強いられてきた。後発参戦組のKTMにもレース結果で追い越され、いわばひとり負け状態がずっと続いていたのである。
日本とも縁が深いエスパルガロ
そんなアプリリアにアレイシ・エスパルガロが加入したのは2017年。2015年と2016年はスズキファクトリーチームに所属していたが、契約更改ならず、行き場を探していた彼にアプリリアが接触して翌年のシートを確保した、という形の移籍だった。

2009年から足かけ14年MotoGPで戦うアレイシ・エスパルガロ。弟のポルはホンダファクトリーでマルケスのチームメイト(写真/MotoGP.com)
エスパルガロは、このとき27歳。2009年シーズンの後半からMotoGPクラスに参戦してレース経験はそれなりに豊富だったが、所属したチームはいずれも中小規模のものばかりだった。それだけに、2015年にスズキのファクトリーライダーに抜擢された際はじつに意気軒昂で、日々の取材でもあふれるほどの闘志とモチベーションの高さを示していた。この時、愛犬に所属チームの名称を取って「ズキ」と命名したことにも、彼のチームへの愛着がよくあらわれている。
当時の彼で印象的だったのが、2016年のイギリスGPだ。このレースでは、チームメイトのマーヴェリック・ヴィニャーレスが優勝した。じつはスズキは、2011年限りでMotoGP活動を休止し、2015年に復帰したという背景がある。その復活に際し、ベテランとしての経験を期待されたのがエスパルガロだった。
一方のヴィニャーレスは2015年に中排気量クラスのMoto2から昇格してきたルーキーで、将来性を見込まれた起用だった。そのヴィニャーレスがスズキ復活後初勝利を挙げたレースを、エスパルガロは7位で終えていた。レース後にエスパルガロのところへ話を聞きに行くと、満面の笑顔で開口一番、若いチームメイトの快挙を賞賛した。
「20ヶ月前にこのプロジェクトが始動したときは、スズキがトップになるなんて信じられなかった。でも、マーヴェリックがそれを達成したんだ。この20ヶ月でスズキは進歩した。それがなによりうれしいよ」
その進歩にはあなたの貢献も大きいでしょう――そう話を振っても、
「まあ、0.1パーセントくらいはね」
そう言って照れたように微笑んでから、
「でも今日の主役はマーヴェリックなんだ」
と、すぐに話題をチームメイトの快挙へ戻してしまう。能弁で喜怒哀楽を隠そうとせず、情に厚い性格の持ち主であることをよく感じさせる出来事だった。
余談になるが、エスパルガロは日本ともなにかと縁が深い。たとえば彼のバイクナンバー41は、かつて小排気量クラスで活躍していた日本人選手・宇井陽一氏が使用していたものに由来する。エスパルガロの住まいのあるアンドラでは、日本食レストランも経営している。彼はまた、サイクルロードレースの熱心なファンで、2017年の日本GP前には、ツアーオブジャパンのクイーンステージ・富士山須走口五合目までの激坂コースを登攀する脚力の持ち主でもある。
その2017年以降、エスパルガロは現在に至るまで6シーズンをずっとアプリリアで戦ってきた。上述のとおり陣営の戦闘力はけっして高いとはいえない状態で、レースも毎回厳しい結果が続いた。
2017年は年間総合15位、18年は17位、19年は14位、20年は17位。完走を果たしたレースでも優勝選手から20~30秒の大差をつけられるのは日常茶飯事で、走行中にマシントラブルでリタイアすることもけっして珍しい光景ではなかった。
だが、2021年はその傾向に大きな改善の兆しが見え始めた。6位や7位というひとケタ順位でレースを終えることが増え、優勝選手とのタイム差も5~8秒程度の範囲に収まるようになってきたのだ。そして第12戦イギリスGPで3位を獲得。これがアプリリアにとって、MotoGP初の表彰台になった。
2021年までのアプリリアは、現場のチーム運営をグレシーニレーシングに委ね、マネージメントと技術陣がチームに帯同する形を取っていた。だが、2022年からグレシーニレーシングはドゥカティ陣営へ移り、アプリリアレーシングはいよいよイタリア・ノアーレ直轄のファクトリー態勢になったのだった。
MotoGP200戦目での快挙
その2022年の開幕戦、カタールGPでエスパルガロは予選で2列目5番グリッドを獲得し、決勝レースは4位。雨の第2戦インドネシアGPは10番手スタートの9位で終えた。
第3戦アルゼンチンGPは、エスパルガロにとってMotoGP、200戦目という節目のレースになった。その間、足かけ14年の紆余曲折はすでに述べてきたとおりで、華々しくチャンピオン争いを繰り広げるトップライダーたちと比較すれば、苦労の多い199戦を過ごしてきたといっていいだろう。だが、その苦労が少しずつ報われ始めていることもまた、昨年の結果と今年の開幕2戦が示している。
その200戦目の予選で、エスパルガロはトップタイムを記録。日曜のレースをポールポジションからスタートすることになった。ポールポジションの獲得は、スズキ時代の2015年以来7年ぶりだ。2番グリッドは、同じスペイン人でドゥカティ勢のホルヘ・マルティン。24歳のマルティンは最高峰クラス2シーズン目で、デビューイヤーの昨年に4回のポールポジションと1回の優勝を達成した逸材である。
日曜の決勝レースは、マルティンとエスパルガロの一騎打ちとなった。
序盤はマルティンがリードし、その背後にピタリとエスパルガロが張り付く。中盤になると、何度か順位を入れ替える攻防が続き、そして終盤、エスパルガロがついに前に出ると、残り2周で突き放しにかかった。その力強い走りには、数年前までよくあった突然の故障や失速の不安要素はかけらもない。

エスパルガロ(前)とマルティン(後)の一騎打ち。互いに手の内をすべて出し尽くした渾身のバトルが続いた(写真/MotoGP.com)
そのまま最後まで駆け抜けてトップでチェッカーフラッグを受けた32歳のエスパルガロは、マシンを停めてそこに跨がったまま突っ伏した。長く曲がりくねった200戦の果てに、ようやく摑み取った勝利。125ccクラス(当時)で世界グランプリにデビューした2004年最終戦のバレンシアGPから数えると284戦目。中小排気量時代にも表彰台の頂点に立ったことはなかった。足かけ19年に及ぶ長い世界選手権生活で、初めて経験する優勝である。その道程に思いをはせ、動けないでいる彼のもとへ、多くのライダーが走り寄って祝福した。

チェッカーフラッグを受け、バイクを停止して突っ伏すエスパルガロ。コースマーシャルたちも駆け寄って勝利を讃えた(写真/MotoGP.com)
2位に敗れたマルティンは、レース展開をこんなふうに振り返った。
「今日は自分のMotoGPキャリアの中でも、最も安定して走れたレースだった。でも、アレイシのほうが少し速いとわかっていたので、ブレーキングでがんばって、離されないようについていった」
そして、アレイシの勝利は本当にうれしい、とも述べて、その理由を説明した。
「彼がすごく頑張ってきたことは、皆がよく知ってるから。それに、裕福な家庭の出身ではなかった僕にアレイシは住む場所や食事を世話してくれて、トレーニングの道具も与えてくれた。いいライダーになりたいと思っていたあの頃、本当に世話になった。その彼が勝利できたことは、本当に最高だと思う」

エスパルガロの優勝を心から喜ぶマルティン(左)。次世代を担うマルティンの追撃を実力でねじ伏せたエスパルガロとアプリリアはもはや「弱小陣営」ではない(写真/MotoGP.com)
世間には、昔はあいつの世話をしてやっただの、こいつを育てたのは自分だなどと吹聴したがる俗物には事欠かない。だが、エスパルガロの場合は「善行は黙って積め」の金言どおりに、そんな過去はおくびにも出さない。こんなところにも、彼の性格の一端がよく現れている。
そのエスパルガロは、優勝の喜びについて正直にこう述べた。
「もちろん、勝てたことはすごくうれしい。でもそれで何かが変わるわけじゃない。ぼくは本当に幸運な人間だと思う。一番好きなことを仕事にしているし、素晴らしい家族がいる。誰もが夢に思うものを手に入れている。だから、正直なところ、レースに勝っても人生は何も変わりはしない」
チェッカーフラッグを受けたときにまず脳裏をよぎったのは、妻と双子の子どもたち(息子と娘)のことだったという。
「ぼくにとってこの世で一番大事なのは、妻とふたりの子どもたち。彼らが、自分が強くあるための源泉だから」
エスパルガロの勝利は、アプリリアにとって2002年のMotoGP挑戦開始以降、20年越しでようやく達成した初優勝ということになる。
「僕がアプリリアに来た当初は、進んでここに来ようとするライダーはいなかったし、誰もこのプロジェクトを信じていなかった。つい2年ほど前、若いライダーたちが声をかけられたときも、(アプリリアでMotoGPに参戦するくらいなら)下のMoto2クラスに残るとか、そんなことを言っていた。でも、今後は彼らも検討してくれるんじゃないかな」
そしてこの優勝で、アレイシ・エスパルガロはランキング首位に立った。3戦を終えて表彰台に上がった9名はすべて異なる顔ぶれである。これはライダーとメーカーが緊迫した戦いを繰り広げているなによりの証拠だ。
「前回はKTMが優勝して、スズキは強いしドゥカティも強いしホンダもいる。ヤマハは去年のチャンピオンだし、6メーカーが高い水準で接近した争いをしているのは、とても素晴らしいことだと思う」
……と、このように、長い長い苦労と紆余曲折の果てにアレイシ・エスパルガロとアプリリアがようやく摑み取った優勝の背景を理解すれば、そのドラマを目撃した大勢のファンのつぶやきで、「MotoGP」「アレイシ」という言葉がツイッターのトレンドに浮上したことにも納得いただけるだろう。そしてこのドラマは、これから11月まで続く。
次戦の第4戦アメリカズGPは、今週末10日(日)に決勝レースが行われる。
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