顔に刻まれた深いしわは、グラウンドに立ち続けてきた男の年輪だ。5月7日の春季兵庫大会決勝。東洋大姫路はライバルの報徳学園に0-2で負けた。岡田は4月に就任後、わずか1カ月で決勝に進んだが、敗戦を苦々しく振り返った。

「1カ月、いろいろやってきたけど、僕が思っていることの10%も伝わってない。もっと振っていく姿勢を出さないと」

35年間指揮を執り、19年夏の甲子園優勝に導いた履正社から母校に復帰した。還暦を超えてなお、野心は消えない。ベテラン監督が新天地で繰り出すマネジメントは、組織づくりの要諦を示している。

監督就任のために提示した「ある条件」

昨年5月に、母校から新監督就任の打診を受けた。夏の甲子園は2011年を最後に遠ざかっているチーム再建の重責を、悩み抜いた末に”ある条件”と引き換えに引き受けた。

「私は履正社でずっと教員をやってきた。学校に入れてもらわないと履正社で培ってきたことが発揮できないので、教員として入れてほしいとお願いした」

「教員監督」こそ指導者としての岡田の本質を示す。東洋大姫路では保健体育教諭として週6時間、教壇に立ち、野球部員がいないクラスの授業も受け持っている。高校野球では監督専任の指導者も目立つなか、岡田ほどの実績を持つ指導者が教員を兼務するのは異例だ。

打倒・大阪桐蔭! 元履正社の名伯楽が描く「古豪復活への道」_1
チーム再建の重責を担う岡田監督

しかし、岡田には確固たる信念がある。

「監督だけだと、グラウンドしか子どもの姿を見られない。グラウンドで子どもはハイハイとしか言わない。学校でどんな姿なんやろ、と。教員だったら見られますよね。いろんな情報があればあるほど、生徒と話しやすい」