「4」「17」「35」「5,730万」——。
ここに挙げたのは全て、プロテニスプレーヤー・大坂なおみにまつわる数字である。
「4」は、グランドスラム優勝回数。これは、現役選手では三番手の数ではあるが、女子テニス史上では31位タイ。記録的には、テニスの歴史に名を刻むチャンピオンへの道のりは、まだまだ長いのが現状だ。
「17」は、大坂が提携契約を結んでいる企業数。「スポンサー」と言い換えてもよいだろう。
「35」。これは、2022年4月18日時点での、大坂の世界ランキング。出場大会数が少ないため、ランキングが上がりにくい状況にはあるが、それも含め、これが彼女の“世界での現在地”だ。
そして、「5,730万」。これは、2020年5月から翌2021年5月にかけて、彼女が稼いだ“年収”である。ただ、単位は“円”ではなく“USドル”。ということは円に換算すると、約65億円(⁉)という、とてつもない金額である。
これは、女性アスリートの年収ランキングでは、ダントツの歴代トップ。
ちなみに彼女は昨年も、その時点での歴代1位の記録樹立者だ。
つまり彼女は、女子アスリートの歴史を塗り替える稼ぎ頭であり、その市場価値は今も上がり続けているのである。

女性アスリートの収入記録を大幅更新! 年間65億円以上稼ぐ大坂なおみの“市場価値”とは
アメリカの経済誌『フォーブス』が発表するアスリート高額収入者ランキングで、2年連続で女性アスリートのトップに立った大坂なおみ。彼女の一挙一動が注目を浴び、多くの企業にも支援される理由とは? その背景には、女子テニス協会の理念もあった。
2年連続で女性アスリートの年収記録を更新

昨年の全豪オープンを制し、“チーム・ナオミ”の面面と共に記念撮影する大坂。向かって右から、コーチのウィム・フィセッテ、アスレチックトレーナーの茂木奈津子、パフォーマンスコーチの中村豊、そしてヒッティングパートナー。多くの優秀なスタッフを雇えるのも高収入あってこそ(撮影:内田暁)
テニス選手は女性アスリートの稼ぎ頭
さまざまな分野において“ジェンダー平等”が叫ばれて久しい昨今ではあるが、スポーツ界における収入においては、男女格差はまだまだ大きい。
アメリカの経済誌『フォーブス』の発表によると、昨年のアスリート年収ランキング上位50名中、女性は僅かに2名。そのうちの一人は全体で12位につける大坂であり、もう一人は、28位のセリーナ・ウィリアムズである。
ちなみに大坂の年収の約9割は、スポンサー契約や出演料などの“競技以外での収入”だ。それはセリーナも同様で、4,590万ドルの年収のうち、賞金は90万ドルを記録するのみである(それでも十分にすごい数字だが……)。
23回のグランドスラム優勝を誇り、史上最高の選手の呼び声も高いセリーナではあるが、女子テニス界の生きるレジェンドも今や40歳。昨年6月末のウィンブルドンを最後に、約10か月間、コートからは姿を消している。
それでもセリーナも、そして昨年9大会しか出場していない大坂も、圧倒的なスポンサー収入を誇る。
スポンサー各社が彼女たちに見出す価値とは、社会的影響力や、正当性である。特に大坂の場合、人種差別撤廃を訴え、自身のうつ状態を告白するなど、時代の趨勢にも合致した問題提起が市場価値を高めている。
「スポーツ選手はスポーツだけに専念しろ」とは、アスリートが人権問題等に関わる発言をした際に、よく耳にする反論だ。ただその指摘は、社会的ロールモデルを期待されるアスリート……とりわけ、女子テニス選手に対しては的外れだといえる。
なぜなら、ジェンダー平等の実現や人権保護は、女子プロテニスツアーを統括する団体“WTA(Women’s Tennis Association:女子テニス協会)”の創設理念と、分かちがたく結びついているからだ。
ウーマンリブの時流に乗ったWTA創設
話は少々、昔話の色を帯びる。
時は1970年――。アメリカやヨーロッパを中心に、女性解放運動華やかなりし頃にまで遡る。
当時開催されていた多くのテニス大会では、男女の賞金格差が激しかった。特に、アメリカで開催された、とある男女共催大会では、女子の賞金は男子のそれの10分の1以下だったのだ。
その事態の改善を求め、時のテニス界の女王ビリー・ジーン・キングは、大会のボイコットを表明する。同時にビリー・ジーン・キングは、同じ志を持つ8名の選手とともに女子選手会を立ち上げ、独自にスポンサーを募りツアー興行を始めた。これが、WTAツアーの始まりの物語である。
ちなみに、WTAの初代冠スポンサーを務めたのは、フィリップ・モリス社である。「自由な女性向け」を旗印に、女性解放運動の機運に乗り1968年にリリースされたタバコ銘柄である、バージニア・スリム(現在のバージニア・エス)の名で第一回選手権が行われた。
このビリー・ジーン・キングを旗手とした女子テニスの活動は、時勢の追い風も受け加速したのだろう。1973年、全米オープンは男女優勝賞金の同額に踏み切る。その動きに他のグランドスラムも追随し、2007年のウィンブルドンをもって、全ての四大大会で男女賞金同額が実現した。
積極的にメッセージを発信する女子テニスの系譜
このようにWTAは、その始まりからして、社会運動的な素地を内包している。だからこそ同組織は、社会的な問題に関しては常に、迅速な反応を示してきた。
最近では、元政府高官から性的関係を迫られたことを告白した中国の元トップ選手、彭帥(ポン・シュアイ)の安否が不明であることを理由に、中国本土開催の一切のテニス大会を中止としたことも記憶に新しいだろう。
WTAにとって、中国は最大の市場だった。それにもかかわらず撤退を決意したのは、WTAの信念完遂の意味合いが大きい。
「もし、政治力のある人物によって女性の声と性的暴力が覆い隠されてしまうなら、それは女性解放を求めて設立したWTAの理念を後退させることになる」
WTAのCEOは、中国からの撤退表明の際にそのように明言している。
また選手個人でも、国連親善大使だったマリア・シャラポワらをはじめ、歴代トップ選手は社会的活動や発信を行ってきた。
これらWTAの理念とトッププレーヤーたちの動きを思えば、歴代世界ランキング1位の系譜につらなる大坂が、さまざまな発言をしてきたのも不思議なことではない。加えるなら、従来の“強く勇ましい”というアスリート像ではなく、内面の弱さや脆さをもさらけ出す大坂の姿に、多くの人々が自身を投影しているのも明らかだ。
その証左が、17の提携企業数であり、5,730万ドルの年収。35位という世界ランキングにも関わらず、市場価値ではぶっちぎりのトップを疾走している、大坂なおみの真実である。
再びテニス界のトップをめざして
もちろん、それら大坂が有する影響力や発信力が、テニスでの実績と戦績に依拠しているのはまちがいない。本人が今現在求めるのも、コート上での成功だ。
「10」
これは今年4月上旬の時点で、彼女が「年内に到達したい」と宣言したランキング。
そして、「1」。これは彼女が、「来年中の目標」として、一度は口にした数字だ。その後、「これはちょっと大胆すぎるわね、やっぱり5位くらいで……」と恥ずかしそうに笑みをこぼし言葉を切ると、仕切り直しとばかりに明言した。
「うん。やっぱり、1位。目標は大きい方がいいし、それがわたしを、駆り立ててくれるんだもの」——と。
迷いを隠す世間ずれした器用さを、彼女は持ち合わせてはいない。
24歳の未完成な若者の姿のままで、大坂なおみは、新時代の旗手であり続ける。
写真 Robert Prange/Getty Images
取材・文/内田暁