3歳の女の子にまで通電して脅迫 はこちら
10歳の女の子が生きる希望を無くすまで拷問 はこちら
監禁した女の子の父を殺した手口 はこちら

最も凶悪な事件、という例えを使うことに躊躇の生じない事件。起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」を主題にした、ノンフィクションライター・小野一光氏による『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)が刊行、このたび重版されることになった。

このような最悪の犯罪が繰り返されないためにも、この事件を改めてレポートしたい。

稀代の大量殺人は、2002年3月7日、福岡県北九州市で2人の中年男女、松永太(死刑囚)と緒方純子(無期懲役囚)が逮捕されたことにより発覚する。

最初の逮捕容疑は17歳の少女(広田清美さん)に対する監禁・傷害というもの。奇しくも2000年1月に新潟県で発覚した、少女が9年2カ月にわたって監禁されていた事件の判決(懲役14年)が、この2カ月前の2002年1月に出たばかりだった。今回も少女が6年以上(後に7年以上と判明)にわたって監禁されていたとの情報が流れ、同事件の再来を想起させた。

だがやがて、この事件は想像以上の展開を迎える。まず清美さんの父親(広田由紀夫さん)が殺害されていたことが明らかになり、さらには逮捕された女の親族、子供を含む6人全員が殺されていたことがわかっていく。しかもその方法は、男の命じるままに肉親同士で1人ずつ手を下していくという、極めて残酷なものだった。

次々とターゲットを見つけては、拷問により肉体的、精神的に支配し、金を巻き上げてきた主犯の松永には死刑判決が下った。そして共犯者で内縁の妻であった緒方には、無期懲役がそれぞれ確定している。

2011年に確定した判決文でも「一連の犯行を首謀したのは松永被告で、緒方被告自身、松永被告から激しい通電を受けるなどして正常な判断能力が低下していた。証拠が極めて乏しい事件を積極的に自白し、事案解明に大きく寄与した」とあるように、一部では緒方自身も被害者なのである。

本記事では、緒方が松永から如何に支配をされていたかを解説する。

本文中の松永太と緒方純子以外の固有名詞(建物名を含む)は、有識者、法曹関係者、報道関係者を除き、すべて仮名である。

以下抜粋
※〔〕内は、集英社オンライン編集部による補注です。

〔97年の4月、松永から金策を命じられていた緒方は、4歳の長男を北九州市の松永に、1歳の次男を久留米市の伯母に預け、松永には行き先を告げずに大分県湯布院のスナックで働いていた。働いて得たお金は松永に送金する予定だったという〕

松永の「自殺」

松永から金策を命じられて行き詰まった緒方が、97年4月7日に誰にも告げずに家を出て、大分県の湯布院町に逃走した「湯布院事件」。

緒方の逃走を知った松永は、これまでの犯罪行為が公になることを怖れると同時に、彼女の裏切りに怒りを募らせた。その後の行動については、一審の公判において検察側が冒頭陳述で述べた内容に詳しい。