逝ってしまったリヴァー

「リバー・フェニックス 23歳の急死! その真相は!?」(1月号)という衝撃のニュースで、1994年の「ロードショー」は幕を開けた。

『スタンド・バイ・ミー』(1986)で注目を集めた彼は、1987年に初めて表紙を飾った。その後、『旅立ちの時』(1988)『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』(1989)『マイ・プライベート・アイダホ』(1991)『スニーカーズ』(1992)と多彩な作品に出演し、その演技の幅を広げていった。圧倒的な美貌と強烈な個性を兼ね備えた彼は、まさに次のハリウッドを担う逸材だった。

だが、ドラッグの過剰摂取が原因で、1993年10月31日にこの世を去ってしまう。彼の成長とともに人生を歩んできたファンの喪失感は相当なものだったに違いない。1994年の「ロードショー」は、「リバー・フェニックス 母からのメッセージ」(3月号)「完全公開! リバー・フェニックスの遺作」(9月号)「不死鳥! リバー・フェニックス」(12月)といった追悼記事を掲載。7月号のキアヌ・リーヴスのインタビュー記事でも、親友リヴァーとの思い出について語ってもらっている。

なお、キアヌはこの年『スピード』(1994)で最大のブレイクを果たし、7月号と12月号のカバーを飾っている。あまり感情を表にすることのない彼が、リヴァーの死をいかに深く嘆き悲しんだか、共演のサンドラ・ブロックがのちに語っていた。

そして、あたかもリヴァー・フェニックスが抜けた穴を埋めるように、1994年には次世代のハリウッドスターふたりが表紙に初登場している。

まずは1月号の表紙を飾ったブラッド・ピットだ。『テルマ&ルイーズ』(1991)で注目を集めた彼は、ロバート・レッドフォード監督の『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)で主演俳優の仲間入りを果たす。その後も、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(1994)『レジェンド・オブ・フォール 果てしなき想い』(1994)と話題作が続いている。

「ロードショー」も「ブラッド・ピットが熱い!」(1月号)「BIG PIN-UP」(2月号)「超特大ポスター」(3月号)「ブラッド・ピットと『カリフォルニア』」(6月号)「ブラッド・ピットLONG INTERVIEW」(8月号)といった特集・付録でバックアップしている。

リヴァー・フェニックスが23歳で非業の死を! その穴をうめるかのように、レオとブラッドが降臨_1
1963年生まれのブラッド、このとき30歳くらいか
©ロードショー1994年1月号/集英社
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