今年6月に開催された井上尚弥vsノニト・ドネアのボクシング世界戦で一躍有名となり、「美しすぎるラウンドガール」としてブレイク中の雪平莉左。
その反響でInstagramのフォロワー数が試合当日だけで2万人、その後の1週間で12万人も急増し、今もなお増え続けている。元々あったグラビアでの勢いもさらに加速し、バラエティ番組『踊る!さんま御殿!!』の出演など活躍の場をぐんぐんと拡大。そんな彼女に、ラウンドガールとしてバズったあの日の心境や、現在進行形のシンデレラストーリーへと繋がるこれまでのことを振り返ってもらった。
――今年4月に1st写真集『とろける。』(集英社)を発売し、グラビア2年目でヤングジャンプのを飾るだけでもすごいと思ってましたが、ボクシング世界戦のラウンドガールとしてバズってから勢いが止まらないですね。
グラビアでの活動を知っていてくださってうれしいです。バズったすぐあとに表紙を飾った雑誌もいくつかありましたが、世界戦のラウンドガールが決まる前から表紙グラビアの撮影はやっていて。今年のいい流れを止めなかったので、タイミングがすごく良かったんだと思います。
――「美しすぎるラウンドガール」と言われることはどう思ってますか?
“美しすぎる”と言われることは、プレッシャーを感じることもあります。ただ、私のファンの皆さんもそう言ってくださるので、うれしいし、ありがたいことだなって素直に受け入れたいと思っています。

「最初はただのナンパかと(笑)」インスタのDMでスカウトされた雪平莉左のシンデレラストーリー
格闘技を華やかに盛り上げるラウンドガールが注目を浴びている。その先駆けとなったのは、今年6月のボクシング世界戦でラウンドガールを務めた雪平莉左だ。ミステリアスな雰囲気の彼女の素顔とは?

バズるタイミングがよかった

ミステリアスなラウンドガール
――元々、フジボクシングのリングガールをやっていたそうですね。
後楽園ホールで行われている興行に月1ペースで出ていたのですが、世界戦は初めてでした。さいたまスーパーアリーナのような何万人規模の会場に立つなんて他のお仕事でもやったことがなかったので、お話をいただいたときから不安と緊張が止まらなくて。当日はメインの前にもラウンドガールとして立ったのですが、ずっと緊張しっぱなしでした。
――リハーサルはあったんですか?
当日に1回ありました。私も知らなかったんですけど、スペシャルゲストで布袋寅泰さんがいらっしゃってリング上でリハーサルが始まったんです。生演奏の迫力に衝撃を受けて、「これは絶対に盛り上がるだろうな」とリハーサルの時点からウキウキして。もちろん緊張はありましたが、選んでいただいたからには私も楽しみつつ、精一杯頑張ってラウンドガールとしてのお仕事を全うしようと心に決めました。
――井上選手の入場時、布袋さんのギターカッコよかったですよね。それほどの緊張感に包まれると頭の中が真っ白になりそうですが……。
会場の雰囲気に圧倒されて、緊張もあって笑顔を出せなかったです。試合後のニュース記事を見たら、自分が思っている以上に顔がこわばっていて(笑)。1ラウンドでKOするんじゃないかなってくらいの戦い方だったじゃないですか。会場のお客さんがザワザワしている中を歩く状況だったので、1分間という決められた秒数を考える余裕もなかったですね。
――選手が休憩する1分間のラウンド間に、ボードを持ってリングを歩くのがラウンドガールの役目。普段は頭の中で1秒2秒って数えるものなんですか?
数えるというより身についているというか、普段は感覚で時間配分ができるんです。でも、世界戦のときは観客席がザワザワしている声が私の耳にも聞こえてきたので集中できず、「第2ラウンドはどうなるんだろう」と気にしながら歩いたのであのミステリアスな表情になったんだと思います(笑)。
――そんなミステリアスなところも魅力になってますが、普段の雪平さんってどんな方なんですか?
マイペースですね。親しい友人からは「人の話を聞かないよね」と言われることもあって。他人にそこまで関心がないというか、たぶん自分中心で回っているところがあるのかもしれません(笑)。大人になってひとりでふらーっと出かけることも多くなりましたし、S N Sにプライベートの内容をあまりアップしないので、そういう点では私生活が見えづらいのかなって思います。
――ひとりでどこへ出かけるんですか?
よく行くのは映画館ですね。仕事が終わってからパスタ屋さんとか定食屋さんに行ったり、ひとりで行動することが増えました。近所にあるお魚の定食屋さんがお気に入りで、周りの目を気にすることもなく、男性のお客さんに混じって黙々と魚を食べています(笑)。

地元の会社を辞めて東京へ
――3年前まで会社員だったそうですね。
地元の愛知県豊田市で会社員をやっていました。9時から6時まで働いて、お休みの日は名古屋まで出てカフェに行ったり買い物に行ったり、地元のみんなと同じような日々を過ごして。
――そんな生活からどうして東京に?
会社員3年目になると貯金がたまって遠くまで行けるようになったんです。だから月に2、3回は友達と東京まで遊びに来ていたのですが、往復3万円くらいの新幹線代がもったいないなと思い始めて。ちょうど何か違うことをやりたい時期でもあったので、東京に遊びに行っている流れで引っ越しちゃおうって思ったんです(笑)。
――仕事も目的も何も決まっていない状態で引っ越したんですか?
何も決まってなかったです。「東京へ行こう」って思ったらすぐに物件を探して、1ヶ月くらいで引っ越したと思います。私、行動力あるんですよ(笑)。当時、社会人同期のコたちも地元で3年働いて「このまま仕事を続けようか、自分のやりたいことをやろうか」って迷い始めるコが多くて。でも私はグダグダ悩んでいるのが好きじゃないので、悩む前に引っ越しちゃいました。
――芸能界に憧れて東京に来たってわけじゃなさそうですね。
そうですね。地元でもスカウトされたことはあったのですが、芸能のお仕事をしているコが周りに誰もいなくて先のことを想像できないというか、現実味がなかったんです。
――芸能の仕事を頑張ろうと思い始めたのはいつ頃ですか?
今の事務所の方からスカウトしていただいたときだと思います。インスタのDMだったので、最初はただのナンパかなと(笑)。もう25の歳だったので、芸能の仕事をするなら今だ、と思って事務所に入りました。
――ひとつひとつの選択が間違っていないというか、その先にうまく繋がってますよね。
自分で選んで切り拓いてきたというより、周りの人に恵まれていて。危機的な状況に陥ったとしても偶然が重なってなんとかなってしまうような経験がたくさんありました。ラウンドガールとして注目されたこともそうですけど、強運なんだと思います。

「東カレデート」のグラビア企画が大バズり。
雪平莉左のグラビアストーリーはこちらから
取材・文/釣本知子 撮影/松木宏祐 スタイリスト/森島友香 ヘアメイク/相場清志




