1972年にロードショーが創刊した当時、戸田さんはまだ字幕翻訳者としてデビューする前だった。
「アメリカにも映画雑誌はありましたが、大抵がゴシップを中心に扱ったもの。ざら紙でページ数も少ないのに、輸入品だから高くてね。それに比べて日本の雑誌は親切に、真面目に映画を紹介するものばかりだったし、ロードショーのように紙も立派で写真も綺麗。英語では“cover to cover”と言いますけど、読者として本当に表紙から最後のページまで全部読んでいました」
その後、映画の字幕翻訳者として活躍し始め、ロードショーへの執筆もスタート。ロードショー主催の講演会に登壇したり、懸賞ツアーに当選した読者たちとパリへ旅したことも。20年以上にわたって愛された連載コラムは、新作映画のセリフを抜き出して生きた英会話を解説しつつ、通訳として接した来日スターの裏話も盛り込んだ、映画ファン垂涎の内容だった。ただし、当初割り当てられたのは1/4ページほどの小さなスペース。もともと連載は戸田さんの大先輩である字幕翻訳家・清水俊二さんに依頼されたもので、「清水先生は気が進まなかったようでね。それで私に回ってきたの」と懐かしそうに微笑む。
「毎月コラムを書くのは大変でしたが、後に本として形になると(『男と女のスリリング 映画で覚える恋愛英会話』『スターと私の映会話!』『字幕の花園』すべて集英社刊)、続けていてよかったなと思いますね。今になると過去に手がけた作品の詳しい内容やスターとのエピソードなんか全部忘れちゃってるわけ(笑)。でも読み返すと本当にいろんなことが蘇るので、思い出のよすがになっています。当時はたくさんの字幕を担当していたので、必ず机の上に何本か手がけている映画の資料がありましたからね。その中からセリフを引っ張り出してきてなんとか書いていました」

字幕翻訳者の夢が叶った時には、40歳を過ぎていました
字幕翻訳の第一人者として、85歳の今も現役で活躍している戸田奈津子さん。映画雑誌ロードショーでは長年コラムを連載し、映画ファンと映画とを密接につなぐ役割を担ってくださいました。「集英社オンライン」でのロードショーレーベル復活を記念したこのインタビューでは、映画に魅了され、映画によって人生を切り開いてきた戸田さんの50年以上にわたるキャリアを振り返ると共に、通訳として接してきたハリウッドスターの知られざる素顔や、戸田さんの胸に今も鮮やかに刻まれる20世紀映画の魅力に迫ります。
ロードショー復刊記念 戸田奈津子さんインタビュー①
私の人生を激変させた映画とスター
ロードショーは“cover to cover”で読んでいました

『スターと私の映会話!』 集英社刊
映画を観られるのは1度だけ! 字幕翻訳の知られざる裏側
ピーク時は1週間に1本のペースで字幕翻訳を担当。必然的に1年で50本手がけた計算になる。
「自分でも信じられませんけど、よくやったと思います。1本の字幕に費やせる期間は1週間。長くても10日しかもらえないんです。しかも各映画会社から依頼がきますから、3本同時にやることもある。その間に映画のプロモーションでスターが来日すると、通訳として1週間は拘束されました。当時はインターネットがなかったので、東京で記者会見をした後は関西地方のメディアのために大阪に移動してまた記者会見。それが終わったら、京都で2〜3日観光するというパターンが多かったです」
今でこそ映画会社には2〜3カ国語を話せる社員がいるものの、当時は通訳の戸田さん自らがスターの観光や食事に付き合い、ガイドのようなことまでやっていた。そのため締め切りが迫っている時には新幹線や飛行機、ホテルでも字幕翻訳の作業をしたという。
「まずは映画会社の試写室で1度映画を観るでしょ。当時はフィルムですから、いちいち気になるシーンで止めることはできませんし、映画を観るのはその1度だけ。英語のシナリオが用意されてあるので、場面ごとにセリフを区切る作業をするんです。区切ったシナリオをもとにAのセリフは何秒、Bのセリフは何秒とリストを作ってもらう。その数字とシナリオを照らし合わせて、どんなに長い原文であろうと1秒4文字というルールの中で読み切れるように字幕を作っていきます。直訳したら画面中文字だらけになってしまうので、字幕翻訳はまず短く訳すのがコツ。特殊な技術と経験が必要でした」
現在、映画の制作はデジタルが主流となり、フィルムが到着しなくてやきもき……などということはなくなったが、そのせいで発生するようになった思わぬ苦労も。
「デジタルだと、監督は公開のギリギリまで編集を粘っちゃうんです。そうすると、直前になって“このシーンはカット”とか“このシーンを追加”なんてことがよくある。本当に字幕翻訳泣かせの時代だと思います(笑)。フィルムは完パケの状態で送られてくるので、後から変更になることはありませんからね。今思うといい時代だったと思います」
プロとは程遠い、下手くそだった駆け出しの頃
中学時代から一人で劇場通いをするほどの映画少女だった戸田さんが、「字幕翻訳者になりたい」という夢を抱いたのは大学卒業間際。一度は生命保険会社に就職したものの、夢を捨てきれず1年半で退職。その後は広告代理店や化粧品会社の資料を英語に翻訳したり、映画会社で映画台本を日本語に短くまとめるアルバイトを経験した。
「当時の字幕翻訳の世界は狭き門どころか、叩くドアすら見つけられない時代。映画会社からしたって、ものすごい金額で買った映画の翻訳を新人にやらせるわけがないでしょ。だからいくら字幕翻訳をやりたいとアピールしても、仕事なんかもらえませんでした」
後に映画評論家や映画監督として活動する、ユナイト映画の宣伝総支配人だった水野晴郎氏からの依頼で、30歳を過ぎた頃から来日した映画人たちの通訳を引き受けることに。そのおかげか字幕翻訳者を志していることを知った別の映画会社から、年に1〜2本、字幕翻訳の仕事が舞い込むようになった。
「下手くそもいいところでしたよ。最初は非常に試行錯誤して、1本やればほんのちょっとだけ上手くなる。そんな感じでしたね。もちろん食べていけるような本数じゃありませんでしたし、とてもとても、プロとは程遠いものでした」
人生が激変したのは、フランシス・フォード・コッポラ監督との出会い。『地獄の黙示録』を撮影中のコッポラ監督は撮影の合間にたびたび来日しており、戸田さんが通訳を任されたのだ。戸田さんの仕事ぶりに信頼を置いたコッポラ監督の推薦により、同作の字幕を担当。こうして本格的に字幕翻訳者としてのキャリアをスタートさせた時には、40歳を過ぎていた。

『地獄の黙示録』(原題:Apocalypse Now) 1979年/上映時間:2時間27分
©ZUMA Press/amanaimages
「ひたすら席が空くのを待っていたら、結局20年経っちゃいました(笑)。そこから年に50本翻訳する生活に突入するんです。本当に一夜にして人生が変わりましたね。依頼があるたびにどんな映画でもはいはい、ほいほいって感じでやらせていただきました。映画が大好きだったし、20年も待ったわけですからね。本当に忙しかったけれど、字幕翻訳に携われることがうれしくて仕方がなかったです」
取材・文/松山梢 イラスト/Chie Kamiya
枯れてこそ美しく

2021年11月26日発売
1,430円(税込)
四六判/192ページ
978-4-08-781706-5
映画を通じて海外の文化を日本に紹介し続ける85歳の字幕翻訳者の戸田奈津子さんと、日本美術の素晴らしさを世界に伝え、広める97歳の元メトロポリタン美術館特別顧問の村瀬実恵子さんとのZoom対談をまとめた新刊。おしゃれやキャリア、仕事の意味や人との付き合いについてなど、人生経験豊かなお二人が紡ぐ言葉は必読!
「村瀬さんと実際にニューヨークでお目にかかったのは1度きり。おしゃれだし面白いし、ひと回り上の素敵な大先輩にお会いしたことを知り合いの編集者に話したら、あれよあれよと本になっちゃいました。私も村瀬さんも、とにかく好きなことを一途に貫いてきた共通点が。でもそれは別に歯を食いしばってねじりハチマキで頑張ってきたわけじゃないんです。ほかにやりたいことがなくて、その道しかなかったのよね。若い人は80代や90代はまだまだ先なんて思っているかもしれないけれど、加速度的に時は流れていきます。時間はないんです。本当にやりたいことがあるなら、ぜひ諦めずにチャレンジしてみてください」
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