ザ・スタークラブのHIKAGEが大病を患ってから深く考えるようになった“生きることのリアル”とパンク哲学
元「smart」編集長・佐藤誠二朗によるカルチャー・ノンフィクション連載「Don't trust under 50」。ザ・スタークラブのHIKAGEのストーリーも3回目。前回は、地元である名古屋への想いと東京に進出した当時の風景について語ってもらった。今回のストーリーは、ファンとシーンを驚かせ心配させた2015年春、急性心筋梗塞で倒れたときからスタートする。(全4回の3回目)
業界を震撼させた、2015年春“HIKAGE倒れる”の報
中学生の頃からザ・スタークラブのファンだった僕が、憧れのパンクスター・HIKAGEに取材で会うのは、今回が2回目だ。これを俗に役得という。2014年11月に初めてお会いしたとき、HIKAGEとは無骨で漢気がありつつ、懐が深くとても穏やかな人物であるという印象を持った。
そして今回のインタビューを終えて僕は、HIKAGEという人の魅力をより一層強く感じるようになった。淡々とした語り口で言葉を紡ぐHIKAGEは、良いことばかりではなく、ネガティブなことも包み隠さずに話す。虚飾のない正直な発言の一つ一つは、重く強い印象として残っていく。そうか、これもまたHIKAGE流の“パンク”なのではないか。僕は勝手ながら、そんなふうに理解した。

2023年4月8日、新宿LOFTのライブ。今も変わらず魂を込めて歌うHIKAGE。(撮影/円山正史)
前回、2014年の取材の際は、撮影中もインタビュー中もひっきりなしにタバコに火をつけていたのが気になった。そしてその数ヶ月後、2015年の春にHIKAGEは病に倒れる。急性心筋梗塞だ。“HIKAGE倒れる”のニュースは音楽業界やファンの間であっという間に広がり、心配する声が高まった。
しかし復活は早かった。入院・療養の末、倒れてからわずか1ヶ月半後には、ステージに戻ったのである。
「知り合いがやっている洋服の展示会場で、胸が急に痛くなって。これはヤバいかなと思って、タクシーで病院へ行ったら、心筋梗塞で即入院。原因は色々あるんだろうけど、とにかくタバコをよく吸ってましたから。まわりには悪い友達が多かったから、みんな16歳とか17歳ぐらいから吸いだしてたんだけど、俺は逆に、みんなと一緒になって吸うのは格好悪いと思って、20歳になるまでやらなかった。でもその後、チェーンスモーカーになっちゃって。
倒れた後はスパっと完全にやめたので『あんなに吸っていたのに』と周りから驚かれたけど、中毒というより吸うのが癖になっていただけなんで、もう吸いたいとも思わなかったんです」
幸いにも襲われた病魔でHIKAGEは深刻な状況には陥らなかった。そして、生還後数年を経た今のHIKAGEは、以前よりずっと健康そうに見える。また、大きな病気をしたことにより、HIKAGEの中では少なからぬ意識の変化があったという。
「死ぬってことが、以前よりはリアリティに近づきました。1988年、『ROCK’N’ ROLL RIDER』という曲(同年10月リリースの同名アルバムに収録)を作ったんだけど、そのとき、俺たちは昔のロックスターみたいに27歳で死ぬ世代ではないって思ったんだよね。もうすぐ30歳になるというのに、『俺、まだ死ぬ感じがしない。これは生き延びるだろうな』って感じたから、じゃあこれからは、“俺たちが生き延びる歌”を作ろうと。
だけどこの年になると、また違うリアリティが出てきます。周りで死んじゃったやつも多いし、自分も来年死ぬかも分かんないなという。逆に、89歳まで生きた俺の両親と同様に、もしかしたら俺もあと25年も生きるのかもしれない。むしろ今はそこが、一番の心配です。今死ねば、やりたいことやって死んだと思えるからいいんだけど、金や生活の維持を考えると、あと25年もどうやって生きりゃいいのかと(笑)」

(撮影/木村琢也)
でも世界のロック界には、80歳にして現役で走り続けている人もいるじゃないですかと言うと、HIKAGEは苦笑しながらこう答えた。
「ミック・ジャガーなんかとは、生きている世界のレベルが違いすぎるんでね。彼らは意欲と健康さえあれば何でもできるだろうけど、我々はそうはいかない。無理が効いた若い頃とは違って、いいライブをやり続けようとキープするためには、時間と金が余分にかかるんですよ。昔よりも人気はないわけだし、どうやって続けていくのかが、常に大きな悩みです」
老いぼれる前にあの世へ行っちまいたい Are you, Baby?
そんなのちっともイカさねえ!
ヨボヨボ・ジジイになっても この世の未来を眺めてニンマリ笑ってやりたい
(『ROCK’N’ ROLL RIDER』 作詞・作曲HIKAGE)
クールで熱くやさしい男、HIKAGEの哲学
日本のパンクロック界に君臨する生きるレジェンドにも、現実的な悩みがある。“武士は食わねど高楊枝”とばかりに虚勢を張るのも、一種のロックかもしれないが、何も飾ろうとしないHIKAGEの言葉にはパンク魂を感じる。
「コロナ禍以降、ライブに来る客は確実に減っています。当然、俺たちのファンも年齢を重ねていて、バンドを好きとか嫌いとかでなく、そうそうライブに来れなくなっているという現実もあるので、自然な流れだとは思っていますが。では、そういう中でどうやっていけばいいのか? 俺たちには上の世代がいないから、マニュアル的なものがないんですよ」
ライブハウスを中心に活動を続けるインディーズ系ロックバンドは、ザ・スタークラブらが現役の最年長世代になっている。ロールモデルのいない難しさ、孤独感のようなものにHIKAGEは苛まれることもあるようだ。
「もっと上の世代のバンドもいるにはいるんですけど、年間に30本も40本もツアーをやる、俺らのようなタイプのバンドはいないので、何を参考にすればいいのか分からないんです。そもそも、この歳までやってるなんて想像してなかったんでね。下の世代は多分、俺たちなんかを手本として見てるんですけど、こっちはこっちで、この先どうやっていけばいいかわからなくて困ってますよ。いっぱいいっぱい(笑)。『勘弁してくれよ』みたいな気持ちは、ありますよね」
若い世代にも好きなバンドはいるというHIKAGEだが、彼らのやっているような音楽を自分のバンドに取り入れられるわけではない。『俺たちがやる音楽ではない』という考えが頭をもたげるのだという。18歳や20歳の子が自然に自分たちのことを好きになるわけがないから、この歳になって20歳のバンドと競う理由はないのだと。
「ビジネスを考えるなら、若い世代を客にしなきゃいけないと思って、みんなあがくんだけど、俺はそういうことはまったく考えない。やせても枯れても俺たちはパンクバンド。パンク以外の何物でもないっていう基本の考えが、俺の中にはあるんでね。スタークラブのライブには10代のファンも来るけど、それは親が好きで影響を受けてるだけで、何もない若いやつが突然、俺たちのファンになるわけはないんです」

ときに柔和な笑顔も交えて、どんな質問にもまっすぐに答えてくれたHIKAGE。(撮影/木村琢也)
「“ゼロ地点”の俺たちは、誰にも負けないという100パーセントの自信があって、もっとも美しかった」
パンクであることの矜持は、HIKAGEが生きる上での最大の糧なのだ。だが、それゆえに自分が立たされている苦境を、冗談めかしてこんなふうにもいう。
「なんで引退できねえんだろう、みたいな。昔はよく、仲のいい若い奴に『俺たちが金を積み立てて、未来はHIKAGEさんたちを食わせますよ』と言われて、『“ロック年金”か、よろしく』みたいにいってたんですけど。パンク連中は売れていないので、実現はしませんね。
ただ矛盾しているようだけど、今でも失敗は恐れてないんです。俺たちはそもそもスタート地点がネガティブだから。バンドをはじめた頃はパンクなんて誰も知らないから、『下手くそなガキが』ってバンバン批判されて、『お前らなんかに未来はない』って見られていました。そういうところからはじめているから、どんなに失敗してもそこに戻るだけ。そして、その“ゼロ地点”の俺たちは、誰にも負けないという100パーセントの自信があって、もっとも美しかったときでもある。あそこに戻るだけなら、それもいいじゃんっていつも思っているんですよ」
あまりにも飾らないHIKAGEに聞いた。なんで、そんなに正直な話ができるんですかと。
「基本的に嘘つくのが嫌い。自分に嘘がつけないので。歌詞でまったく作りもんの話は書けるけど、現実の世界で嘘は苦手で。映画『ゴッドファーザー』に、アル・パチーノが奥さんから『あなたが殺したの?』と問い詰められるシーンがあります。アル・パチーノは『今回だけは聞いていいが、二度と聞くな。本当のことを答える』と言って、殺してないと嘘をつくんです。彼はその嘘を死ぬまで背負っていくんですけど、男はやっぱりこうあるべきだなと思っていて、自分が弱くなるとそのシーンを見返すようにしています。
俺は嘘をつけないけど、もしどうしてもそうしなきゃならないのなら、一生背負って生きて真実に変える。そんな強さがほしいんですよ」
HIKAGE流パンク哲学は、やはり圧倒的に格好いい。
文/佐藤誠二朗

【プロフィール】
ヒカゲ/1959年生まれ、愛知県名古屋市出身。
1977年、名古屋でHIKAGEを中心に結成したザ・スタークラブのヴォーカル。
現メンバーは、HIKAGE(ヴォーカル)、TORUxxx (ギター)、HIROSHI(ベース)、MASA(ドラムス)。
1977年、名古屋でHIKAGEを中心に結成。後のインディーズ・ブームに先駆けて1980年1stミニ・アルバム発表。1984年、徳間ジャパンからメジャー・デビューするまでインディーズ・チャートを独走する。
1986年、ビクターへ移籍後、2003年にスピード・スター・ミュージック、
2004年にクラブ・ザ・スター・レコーズ、そしてノートレスとレーベルを移しながら、年ごとの新作発表及び全国ツアーと絶え間ない展開を現在まで続けている。
2023年、バンド結成47年目を迎える今も、止まる事なく走り続ける、唯一無比の日本のパンク・ロック・バンド。
公式X(旧ツイッター):@thestarclub
公式HP:ザ・スタークラブ公式HP
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