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山根騒動で日本中から悪者扱いに…

大学卒業後、中嶋は大橋会長に誘われて横浜に単身移住。早速プロ練習が始まったが、ここで面食らった。

「練習量がそれまでと全然違いましたね。これはついていくの大変やと」

「奈良判定」で後ろ指をさされた悪童ボクサー・中嶋一輝はその後どう生きているのか。山根騒動で日本中から「悪者」として注目を浴びても、気にしない鋼のメンタルを支える2つの存在_1
試合前の中嶋。「試合が決まってからは、ずっと相手に対してムカついてますよ」写真提供:ヒノモトハジメ
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横浜には一人も知人や友人はいない。オフの日は部屋にこもり、節約のために毎日牛丼屋に通った。辛いと思ったことはあるが、大金を稼ぐからと大見得を切って郷里に母親を置いてきた。ここで簡単に帰るわけにはいかない。覚悟を決めて練習についていった。

2017年のプロデビュー後は、順調に勝ち星をあげていった。しかしその翌年、思わぬところから事件が起きた。

日本ボクシング連盟の山根明会長の経理や判定の不正が疑われ、その独特な風貌や言動も相まって連日ワイドショーで報道された騒動である。そして、贔屓の選手に有利な採点をつける「奈良判定」の恩恵を受けた象徴的な選手として、中嶋が当初から実名で報道されてしまったのだ。

「SNSなどを通じて知らない人から嫌がらせのメッセージが500件以上届いて、スマホが壊れるんちゃうかと思うくらい通知が鳴りっぱなしで。試合直前でしたし、途中からは電源をオフにしました。もう昔のことですし、僕はただ試合に出て戦ってただけなんで、なんで自分が叩かれるのかわかりませんでした」

不正なジャッジを中嶋の方からお願いしたことなど当然一度もない。また、よく報道では判定後、勝利者としてレフェリーから手を上げられるのを拒む中嶋の映像が再三に渡って放送された。

「あの映像は2016年の国体です。あのときは右手首を骨折していて、試合中も痛すぎて2度ダウンを奪われて、地面に手をつくのも痛くてかばうように腕から倒れたんです。次の試合どころではない痛みやし、さすがにこれは負けて休めるやろと思ったら、勝ってレフェリーに手を上げられそうになったのでビックリしました」

この疑惑の判定についてはボクシング業界でも話題となった。次の日会場に行くと、「お前、負けとったやろ」と他大学の選手に声をかけられた。

「黙っとれって言い返しましたけどね。俺は誰にも何も頼んでない。2018年に騒動になったときも、もう昔の話でしたし、『もっと騒げ』と思ってました。騒ぎが大きくなったら選手達に罪はないことがいずれわかってもらえるやろうと。

忖度による判定で不利なジャッジが下された選手本人や親族の立場からすると、連盟だけでなく恩恵を受けたとみた選手にまで怒りの感情が広がってしまうのも、理解はできる。私自身は当事者ではないが、かつて不利を受ける立場にあり、今でも彼らに忌避感情を持つ知人もいる。ただ、目の前で悲しさや戸惑い、憤りを押し殺すように淡々と話す中嶋選手については、彼もまた被害者の側面があったとやはり思ってしまう。

「騒動が落ち着いて、後から関係者から『巻き込んで悪かったな』と謝られましたが、『いやもう覚えてないですしいいですよ』って。自分はメンタルが鋼なんで、実際にまったく気にしなかったですよ」