「わが国物理学の祖」という評価

蘭学研究者の杉本つとむ氏の著作に『長崎通詞』がある。

蘭語の通訳である長崎通詞の起こりから、蘭語の学習法、優れた通詞(阿蘭陀学者)、紅毛学・博言学の達人、語学教育への献身などの項目に分けて、長崎通詞に関連する諸々の事柄がコンパクトにまとめられている。

何人もの有能な長崎通詞の名前が出てくるが、特に本木良永と志筑忠雄(通詞を辞めてから中野柳圃と名乗る)については、その仕事と人となりが詳しく書かれており、杉本氏が強く惹かれた人物であることが窺われる。

同氏は地動説を紹介した本木を「日本のコペルニクス」、ニュートン力学を理解して日本に持ち込んだ志筑を「わが国物理学の祖」と、特別な形容で呼んでおられる。彼ら二人が日本に近代科学のエッセンスを紹介した最初の人物として重要な役割を果たしたことへの最大級の賛辞と言えよう。

長崎通詞は西洋の最先端の科学に日本で最初に接することができる有利さはあるものの、それが本当に重要かどうかを嗅ぎ当てる嗅覚を備えていなければ、ただの通訳で終わってしまう。この二人は、杉本氏の特別な呼称通りの仕事を残したのだが、彼らは科学のセンスだけではなく、日本語についての特別な才能も有していた。

翻訳作業においては、専門用語を新たに発明するとともに、日本にはない概念を明確に表現することが求められたからだ。彼ら二人の才能と努力を高く評価すべきであろう。

日本にはない概念に多くの新用語を与えた

志筑が残した著作物としては、オランダ語の研究書が10種、世界地理・歴史関係書が6種、 天文学・物理学・数学関係の研究書が21種と分類されている(烏井裕美子「志筑忠雄の生涯と業績」、『蘭学のフロンティア 志筑忠雄の世界』所収)。失われた文献もあるようだが、これを見るだけでも彼が文系・理系の両分野に長けていたことがわかる。

ただ生前に出版されたものはなく、彼の仕事はもっぱら写本を通じて蘭学仲間に知られたのである。言っておくべきことは、志筑は翻訳では、達者な語学の知識を基礎にしてしっかり中身を把握しているとともに、「忠雄曰く」とか「忠雄案ずるに」と注釈して、自分の意見や考えを、時には本文以上の長さで付け加えて理解の筋道を示していることだ。

志筑は蘭語・蘭学の「第一人者」であるとともに、翻訳書であっても研究的態度・批判的観点を貫いて自分の意見を述べることを躊躇しなかったのである。

志筑忠雄は文理双方に詳しかったのだが、精力を傾けて取り組んだのが理系分野の著作であったことは確かである。本書に関連するのは、オックスフォード大学教授のジョン・ケールが書いたニュートン力学の教科書、『天文学・物理学入門』のオランダ語訳(1741年刊)を翻訳した『暦象新書』である。

志筑は、ケプラーの法則やニュートンの運動の3法則と万有引力の法則を数学的に理解した上で、引力・求心力・遠心力・重力・分子など多くの物理用語を生み出した。「真空」を近代科学用語として使い始めたのも志筑であった。

このように、彼は西洋で使われていて日本(あるいは中国を含め東洋)にはない概念や抽象名詞について、新用語を数多く案出して日本語(のみならず、科学の内容や科学思想)を豊かにしたのである。

また、先に述べたように、ケールの著作が明示的でなく簡単に理解できない部分については、「忠雄曰く」として、自分の考えや解釈を述べて補っており、翻訳というより志筑忠雄のオリジナルな著作と言ってよい部分が多くある。彼の業績は今やほとんど忘れ去られているが、少なくとも日本で最初にニュートン力学を受容し紹介したという点は記憶されるべきで、日本の物理学史の重要人物なのである。