「フィクションを介し現実を描く試み」新川帆立×逢坂冬馬_1
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「フィクションを介し現実を描く試み」新川帆立×逢坂冬馬_2
令和その他のレイワにおける健全な反逆に関する架空六法
著者:新川 帆立
定価:1,815円(10%税込)

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賭け麻雀が合法化された世界や、労働コンプライアンスが過剰にもてはやされた世界、紙幣が忌み嫌われ電子通貨が主流となった世界などなど……。小説すばる連載作、『令和その他のレイワにおける健全な反逆に関する架空六法』(通称:架空反逆六法)で新川帆立さんが描くのは、六つの架空法律が制定された、ここではないどこかの「レイワ」。新川さん初のリーガルSF短編集がこのたび刊行されました。今回は、同年デビューであり、2021年『同志少女を、敵を撃て』で大注目を集めた逢坂冬馬さんとの対談が実現。新進気鋭のお二人が、執筆愛を熱く語ります。

聞き手・構成/タカザワケンジ 撮影/キムラミハル

現実と平行する六つの「レイワ」

――お二人がお会いするのは初めてですか。

新川 二回目です。日本推理作家協会のイベントで御一緒させていただきました。

逢坂 推協フェスでしたね。その前から新川さんのことは気になっていました。僕は2021年の11月に作家デビューしたんですが、そのときに西日本を中心に書店めぐりしたんです。行く先々に新川さんの『元彼の遺言状』の文庫版と二作目(『倒産続きの彼女』)が並んでいて、帯に景気のいい数字が書いてあるなと思いながら見ていました。しかもその年の1月にデビュー作が出たのに、11月にはもう二作目が出ているなんてすごい。書店の方に「『元彼の遺言状』ってどんな小説なんですか」と聞いたら「面白いことを全部やったような小説ですよ」と言っていたのが印象に残っています。

新川 私と逢坂さんは同年デビューなんですよね。『同志少女よ、敵を撃て』は発売してすぐに話題になって、年末には書店員さんたちが今年一番の新人は逢坂さんだとおっしゃっていました。嬉しかったですね。同時期にいい作家が出ると盛り上がりますから。

逢坂 さっそく聞きたいんですけど、新川さんの新刊『令和その他のレイワにおける健全な反逆に関する架空六法』は、何でこんなにタイトルが長いんですか? 

新川 法律っぽいタイトルはどうですかと編集者さんから言われたんですよ。たしかに法律って長いものが多いので、長いと法律感が出るんじゃないかと。公式の略称は『令和反逆六法』です。

逢坂 なるほど。新川さんの作品を読むのって『元彼の遺言状』以来なんですけど、今回はミステリではなくSFですね。それも架空の法律を素材にしたSF。各章ごとに登場する法律や、法律の成立過程は完全に架空のものですが、描かれている世界は歪(ゆが)んでいるものの、どことなく現実に似ています。

 六つの短篇が入っていますが、僕が一番すごいと思ったのは二つ目の「自家醸造の女」。今の日本では、自家製のお酒をつくることは法律で認められていませんが、「自家醸造の女」の世界では個人がつくることが許されていて、むしろ奨励されています。太平洋戦争後にGHQの主導で禁酒法が施行され、酒造メーカーが潰れた代わりに一般家庭での醸造が黙認された。禁酒法廃止後も家庭での酒造りが文化として残されたという設定です。その結果、女性が家庭でお酒をつくることを強制されるようになっています。

 禁酒法の施行から家庭でお酒をつくるところまで、法律自体はフィクショナルですが、こういう法律があったらこうなるだろうなというリアリティがありますね。お酒は女性が家庭でつくるものだという常識があることで、美味しいお酒をつくる女性が賞揚される。お酒だから荒唐無稽に思えますが、料理に置き換えれば、いまだに女性の仕事だとされている現実がある。『令和反逆六法』のほかの短篇もそうですが、星新一的な歪んだ世界を堪能できる一方で、ふと自分たちの身の回りを見ると、そこにある歪みや滑稽さが見えてくる。そういう意味ではある種のディストピア小説でもあると思います。

新川 深く読んでいただいてありがとうございます。まさにそれが狙いです。六つの短篇はいわゆるパラレルワールドもので、現実の令和と平行してあり得るレイワを六つ考えました。おっしゃるとおり最初に投げ込む石はまったくのフィクションですが、波紋の立ち方は現実に即して考えました。投げ込んだ石が突飛なものが多いので、法律とそれに振り回される人たちの様子も滑稽に見えますが、翻って見ると私たちの世界にも同じような法制度があるんですよね。タイトルではキャッチーに「健全な反逆」と書いていますが、これは現代に対する批判的精神を指しています。逢坂さんがそのことを指摘してくださったことに感謝です。

「フィクションを介し現実を描く試み」新川帆立×逢坂冬馬_3

仮想世界の視点で現実を描く 

新川 六つ短篇のうち「シレーナの大冒険」は、逢坂さんが『2084年のSF』(日本SF作家クラブ編)に寄稿した短篇小説「目覚めよ、眠れ」に近いところがあるんじゃないかと思ったんですが、どうでしょう。

逢坂 ああ。たしかにそうですね。

新川 「シレーナの大冒険」はメタバースの話なんですが、自分に都合がよく編集あるいは加工できる仮想世界があるとしたらどうなるかを書いています。そうなったら一定数の人間は現実を捨てて仮想世界に入りっぱなしになってしまうんじゃないか。

 一方、逢坂さんの「目覚めよ、眠れ」は「無眠社会」が実現した世界です。起きたまま眠ることができ、好きな夢が見られる。夢も仮想世界だと考えれば、着想自体は共通していますよね。ただ、どの程度の人間が仮想世界に入り浸るかというところが違います。私は一部の人間だけが夢中になって、大多数は冷ややかに見たり、潰そうとしたりするんじゃないかと思うんです。しかし逢坂さんの「目覚めよ、眠れ」はその逆で、大多数の人間が夢の世界を選ぶのではないかと書かれていますね。そこに私と逢坂さんの人間観の違いがあらわれていて面白いと思いました。

逢坂 たしかに近い問題意識を持っていたのかもしれないです。「目覚めよ、眠れ」には主に二つ課題がありました。一つは眠らなくてもいい技術がどのようなもので、実現したときに何が起きるか。実際に軍事産業分野で眠らない技術の研究が進んでいるんですよ。もう一つは夢の世界がすべて操作可能になったらどうなるか。一見快適なように見える夢の世界と、眠ることなく働き続けるしんどい現実空間。その二つが目の前にあって、どっちを選ぶかとなったらどうするだろう。そう考えて書いたのがあの短篇なんです。初めての短篇だったので、完成するまでに苦労しました。

新川 「シレーナの大冒険」も難しかったんですよ。今回の六編の中で一番大変でした。というのは、そもそも仮想世界自体がフィクションの世界なのに、さらに架空法律があるので、フィクションにフィクションを重ねることになるからなんです。現実か仮想か、読者が途中でわけ分からなくなるんじゃないかと思って苦心しました。

逢坂 なるほど。僕は視点がずっと仮想世界にあるのが面白かったですね。現実世界から書くほうが書きやすいはずだから。

新川 最初は私も近いところから少しずつ遠くのほうに行く道筋で考えていたんです。現実の世界から仮想世界へという流れで。でも、それではどうしても書けなくて、結局、遠い仮想世界から始めて近い現実に戻ってくる構成にしました。

 もう一つ難しかったのは仮想世界の人物をどう描くか。仮想世界の人物はプログラミングされたものなので、人間とすごく似ていますが、どこか人間とは違う”何か”なんですよね。「恋心」とか「恋愛」みたいなものもカッコつきのそれなので、人間サイドから見るとチープに思える書き方が正しい。でも、それが読者にただのチープと受け取られずに、作者の意図を伝えるにはどうしたらいいのか悩みましたね。

逢坂 伝わったと思いますよ。プログラミングされた存在のほうから書かれているので、プログラムされた存在だということが分かった後でも、でもこの子には自我がある、クオリアがあるんだと読者は知っている。その上での感情のチープさがあるわけだから、それが面白かったんです。こういう存在だからこそ、ところどころ人間とちょっとズレているんですよね。

新川 それならよかったです。「シレーナの大冒険」と「目覚めよ、眠れ」とを比較して面白いと思ったのが、私はどうしてもブラックユーモア的な味つけをしてしまうんですけど、逢坂さんはシリアスで美しい世界として描いていて、それも書き手のキャラクターの違いなのかなと。

逢坂 登場人物個々の内面に寄り添って書こうとするからかもしれません。「目覚めよ、眠れ」の主人公は「無眠社会」が実現し、生産効率が飛躍的に上がった世界で、無眠技術に適合できず睡眠を取らずには生きられない若者。そんな世界であっても、そこに適合しきれない人を書きたいので、自然とあんな感じになったんですよ。

新川 適合しきれない人を書きたいというのは私も同じなんです。『令和反逆六法』でも短篇ごとにいろんな世界をつくっているんですけど、主人公はその世界の規範に適合しようとして、しきれてない人たちです。世界とのズレが滑稽でちょっと切ない。身につまされるみたいなところが、小説で描くのにいい部分だなと思うんです。私の場合はちょっとアイロニカルに登場人物を見ていて、逢坂さんの場合はストレートに人物に寄り添っていくのかもしれませんね。

「フィクションを介し現実を描く試み」新川帆立×逢坂冬馬_4