本当に手放せないものは何かを模索中
――作中で、シイノはマリコの遺骨と一緒に旅をしますが、大切な人を失った側に対する思いや共感する部分はありましたか?
私も身近な人を亡くしているので、もう話すことができないと思う悲しみは共感できました。でも、その人が心の中に生き続けていれば、話しかけちゃうことは今でもあるなと思います。きっとシイちゃんの中でも、マリコは生き続けると思うんです。ふとした時に「マリコ、あんただったらどうする?」「あんたはこうしそうだね」って話しかけてしまうこともある。自分の中に大切な人を存在させて生きていくことに、すごく共感しました。
――マリコを演じ終えたときに、率直に感じたことを教えてください。
この先、マリコと向き合う時間がこれで終わるのかって思ったときに、ポッカリと心に穴が開いたように、寂しく感じました。芽郁ちゃんともっとお芝居していたいとか、いろんな気持ちがクランクアップ直後に沸きましたね。その後、作品が完成して形になったものを見たときに、私たちがすごく大事にしたかったことが、ちゃんとこの映像の中に生きていると感じられたので、安堵感もありました。一緒に作ったすべての人たちへの感謝の気持ちが沸きあがって、原作を読んだときとはまた違う涙を流してました。
――永野芽郁さんとは大の仲良しと聞いています。“親友”以外の呼び方をするなら、どういう関係性の呼び名になりますか?
私も考えたことがあるんですけど…… “芽郁ちゃん”なんですよね。作品中でもシイちゃんとマリコの関係って、親友といえば親友なのかもしれないけど、一言で表わしにくくて。もし表わすとしても、“マリコ”と“シイちゃん”でしかないと思うんです。お互いの存在が、ほかの言葉で替えがきかない関係性なのかなって。それで芽郁ちゃんの存在を改めて考えると、私もなかなか言葉にするのは難しくて、私の乏しい言語力では、“芽郁ちゃん”という一言でしか今は表せないですね。
――最後に、シイノにとってマリコのように、奈緒さん自身の“なくてはならない存在”を、人と物、それぞれ教えてもらいたいです。
まず、家族ですね。マリコを演じてみて、家族の影響は大きいと感じたし、私もひとりでは生きていけないって感じたんです。家族だからこそぶつかることもあったり、面倒くさいと思うこともあったりするけど、楽しいだけじゃなく、もっと深い関係性でいられるのは、家族だから。もし家族がいなかったら……ってことは考えたくない。今後もし今の私の家族とお別れする日が来たとしても、新しい家族が増えていたらいいなとすごく思います。
物については、あまりないかもしれません。実は今、物を手放しまくりなんです(笑)。自分が本当に大事な物はなんだろうと最近すごく考えるようになりました。ひとつずついらない物を捨てることで、本当に手放せないものは何かを探っているところです。