21歳人気絶頂時に引退

山口百恵は人気絶頂だった1979年に自分の強い意志で引退を決意すると、芸能界には一切の未練を残さず、市井の生活者として静かに生きていく道を選んだ。

1980年10月5日、日本武道館でファイナルコンサートを行った。歌手として大規模なコンサートのステージに立つのは、これが最後となった。彼女はこのとき、まだ21歳だった。

最後のオリジナル・アルバム『This is my trial』が発売されたのは、引退後の10月21日である。ここに収録されていたのが、井上陽水が作詞・作曲した「Crazy Love」で、今ではスタンダード曲になっている。

1980年の10月21日に発売された最後のアルバム『This is my trial』(CBS・ソニー)のジャケット。10月5日に開催されたファイナルコンサートでは、アルバムのタイトルにもなっている「This is my trial」(作詞・作曲/谷村新司)をオープニング曲として披露した。
1980年の10月21日に発売された最後のアルバム『This is my trial』(CBS・ソニー)のジャケット。10月5日に開催されたファイナルコンサートでは、アルバムのタイトルにもなっている「This is my trial」(作詞・作曲/谷村新司)をオープニング曲として披露した。
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この曲は「ダイアナ」のヒットで知られたカナダ出身のシンガー・ソングライター、ポール・アンカによる同名のロッカ・バラード「Crazy Love(邦題はクレイジー・ラヴ)」にインスパイアされて、作られたのではないかと考えられる。

日本にロカビリー旋風が吹き荒れていた1958年(昭和33)、最も人気が沸騰したのは16歳のポール・アンカだった。6月29日付の文化放送「ユア・ヒット・パレード」では、ポール・アンカの曲がチャートのベスト3を独占していた。1位「君はわが運命」、2位「ダイアナ」、3位が「クレイジー・ラヴ」という順である。

山口百恵の所属するホリプロで制作担当プロデューサーだった川瀬泰雄は、著書の『プレイバック 制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡』(学研教育出版)のなかで、この楽曲が生まれた経緯についてこんなことを明らかにしていた。

当初、陽水氏がくれたデモテープは、アコースティックギター1本で歌ったバラードだったのだが、もっと尖(と)がった感じを出したかった僕は、萩田氏に頼み3連のブルース・ロック風にアレンジしてもらったのだ。

こうして山口百恵の「Crazy Love」は、ポール・アンカを思わせる3連のロッカバラードで、しかもかなり大人びたブルースとして完成した。川瀬はこのアレンジについて、最も信頼できる編曲家の萩田光雄によって、「大好きなサウンドに仕上がった」とも述べている。