検察は「周囲に相談したり…引っ越しを考えることができたはずだ」
2023年、B子さんは通っていたデイサポートセンターで毎日のように長時間絶叫する状態になり、施設側はA子被告に通所先を変えることを求めるようになった。
A子被告は別の施設を見つけられなかったが、昨年になって投薬でB子さんの大声は沈静化する。しかしそれからはてんかんの発作が頻発し、そのたびに施設に駆けつけたA子被告は、パートを続けられなくなる。
自身もうつ病を患っており、疲弊したA子被告は昨秋、介護者が一時的に休むため障がい者を病院が引き受ける「レスパイト入院」を地域の病院に依頼している。だが病院はB子さんのてんかん発作に対応できる体制がないとして断っている。
そして今年1月10日、B子さんが激しいてんかんの発作を起こしたことを機にA子被告は2人で死ぬことを考え始める。「私が先に死んで、娘がかわいそうな境遇に遭うなら私も一緒に死んで天国に行こうと思った」と考えたと、事件の直後にA子被告は警察に供述したと伝えられている。
2月中旬には水を入れる衣装ケースの下に敷くビニールシートや、遺体の腐敗を防止するための保冷剤を購入していたA子被告。事件の夜にはB子さんにオムツを3重にはかせ、シートの上に置いた衣装ケースに浴室からバケツで何度も水を運び、計画を実行に移した。
そして弁護側によれば、そのあとA子被告は少なくとも3つの方法で自死を試みたが死にきれず、近所の80代の男性、Cさんに泣きながら電話をかけ事件が発覚した。
判決に先立つ15日までの公判で、A子被告は、B子さんは「私の命であり、全てでした」と話し、正常な判断ができずにB子さんを殺めてしまったことを後悔している、と心情を述べていたという。
事件当日に逮捕されたA子被告は、殺人罪で起訴された後、逮捕から約3カ月後に保釈されている。一方、検察側は論告で、「周囲に相談したり、レスパイト入院や施設への短期入所ができるよう引っ越しを考えることができたはずだ」
として、A子被告が悲劇を回避するために取れる努力があったのではないかとも指摘した。













