3連覇ならず…PL学園戦の敗因
サインミスも頻繁にあった。蔦は盗塁を伝達したつもりであったのだろう。が、出されたサインが違うため、選手は走らない。
すると蔦は大声で叫んだ。
「走れのサイン、出しとるやろ!次の球、走れ!」
あの頃の蔦を思い出す江上の顔は、笑っていながら、どこか突き放しているようでもあり、寂しそうでもあった。
甲子園史上初の三季連続優勝が期待された1983年夏、池田は準決勝でPL学園に敗れる。0対7の完敗であった。
「敗因?僕らのおごりです。一年生コンビがいることを知って、PLもあかんようになったなぁとか話してましたから。相手投手の桑田(真澄)に圧倒されたという感じもなかった。チャンスを作っても、ちょっとのところで打ち損じて、ことごとくゲッツーで潰れていく。試合後、蔦先生から怒られました。お前らが性根入れて練習できてなかったからや、と」
池田黄金時代の只中にいた江上も、蔦がひとりでグラウンドを整備する姿を覚えている。昼休み、トンボをくくりつけた自転車に乗って、土を均していた。
綺麗にしたところで午後の体育でグラウンドを使われたら意味がないだろうに。不思議に思いながら、江上はその光景を教室の窓から眺めていた。
江上は今では、こう考えるようになった。
部員たちは蔦を全面的に信頼していたわけではない。PL学園に敗れた試合後には、労りのひと言くらいあってもいいじゃないか、と反発する部員もいた。
だが、ひとりでグラウンドを整備するあの情景が、部員たちが蔦を信じるよすがになっていたのではないか、と。
池田野球部と金について、押さえなければならない点がもう一つあった。
寮である。













