連覇後に一変した「池田の見られ方」

夏春連覇で池田の人気は加熱した。

取材を兼ねて大和寮に泊まり込むメディアの姿もあった。女性誌『Seventeen』まで池田を特集した。全国から指導者がこぞって視察に来た。東京から池田を訪れる監督もいた。

「蔦さんの見られ方も連覇を機に変わりましたか」とわたしは訊いた。

「池田を訪れた人たちが、僕らに質問してくるんですよ。蔦先生の練習はすごく緻密に考えられていて戦略的ですよね、といった前提で聞いてくる。いつも僕らが聞き流している蔦先生のアドバイスを、『あの言葉の真意は?』と質問攻めしてくる。実情を知っている四国放送の人とか昔から池田を取材している人たちは、聞いてこないんですけど。初めて来たようなメディアの人の質問には、神格化された蔦さんという前提がありました」

高校野球史にその名を刻む池田高校の名将・蔦文也氏(写真/共同通信社)
高校野球史にその名を刻む池田高校の名将・蔦文也氏(写真/共同通信社)
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「蔦監督のアドバイスは、実際のところは深い意味があるものではなかった?」

「もともと徳島ではダメ監督……いやダメ監督は言いすぎか。結局、勝てない監督というのが蔦先生でした。甲子園の帝京戦の前かな、蔦さんがチラシの裏面にいろいろ書いていて。それを見ながら何を言うのかと思ったら『相手の一番打者は足が速いぞ。気をつけておけ』だけでした。え、真っ黒に書かれていたのに、要約するとそれだけだったのか、って。県内のチームにはサインがバレているし、サインミスもしょっちゅうだし。だからこそ僕らは蔦先生をかわいく思っていたし」

蔦が試合中に出すサインは、徳島県内の他校に見破られていた。それでもサインを変えようとはしなかった。