映画『20世紀少年』

『電気の武者』がリリースされてからおよそ1年後、1972年11月にT・レックス初来日することが決まった。11月28日の日本武道館で初日の幕が開けて、翌日は愛知県体育館で公演が行われたが、いずれも盛況だった。12月1日の大阪公演は『ゲット・イット・オン』を30分も演奏するほど絶好調で、バンドは乗りまくっていた。

「新曲を作ったのでレコーディングをしたい」

マーク・ボランが滞在中に急にそう言い出したのは、東京に戻っていた12月3日のことだ。

石坂はただちに赤坂の溜池にある東芝EMIの第1スタジオを用意し、その日の午後からT・レックスのレコーディングが始まった。自伝『我がロック革命 それはビートルズから始まった』のなかで、石坂がその時の様子をこう描いている。

黒いコットンのシャツに黒いサテンの衣装で決めたマーク・ボランは一歩スタジオに入ると、脇目もふらずに一心不乱に作業を続けている。日本人だと、録っては休み、録っては休みを繰り返すことが多いが、マーク・ボランは周りに関係なくドンドン進めていった。(中略) 作業は午後3時から夜中の1時まで、全部で10時間ぐらいだったと思う。なまじ口を出すとうるさそうだから、自由にやらせておけばいいかなと思い、傍観していた。

このセッションでは、『20センチュリー・ボーイ』『エレクトリック・スリム』『ストリート・ブラック』の3曲が録音された。

こうして実に快調だった来日公演だったが、12月4日に最後の武道館公演が始まった時、予想外のアクシデントが発生する。震度4の地震が起きたのである。

経験したことがない揺れに驚いたマーク・ボランは、「地面が揺れる」と恐れおののいて、演奏を中断して楽屋に引っ込んでしまった。そこで説得役を買って出たのは、担当ディレクターの石坂だった。

「ステージで演奏をやってくれ」と頼んだら、“I'm Marc Bolan!”と一言。一瞬、意味がわからなかったが、「オレはマーク・ボラン様だ。なんでこんな地震の時にステージに出なきゃいけないんだ」という意味かなと理解した。結局は歌ってくれたけど、説得するまでが大変だった。そのためか、ステージはわずか1時間で終わってしまい、アンコールを求めお客さんは不満げだった。

その日は地震に水をさされて、まったく盛り上がりに欠けるライヴとなってしまった。まさに好事魔多しである。

日本でレコーディングされた『20センチュリー・ボーイ』は、翌73年3月にシングルとして無事にリリース。T・レックスに関してはやれるだけのことやっていたので、石坂は原題のままいくことに決めた。だが、発売しただけでかなりのヒットになった。

この曲は、1977年にマーク・ボランが交通事故で亡くなった14年後にリーバイスのCMに使われて、1991年の全英トップ20にランクインした。

映画『20世紀少年』配給:東宝/142分/日本 2008年8月30日に劇場公開された映画『20世紀少年』。監督は堤幸彦氏。“ともだち”と呼ばれる存在により、世界滅亡の危機が現実に起こりつつあることを知った主人公のケンヂがかつての仲間たちと世界を救うために立ち上がる。
映画『20世紀少年』配給:東宝/142分/日本 2008年8月30日に劇場公開された映画『20世紀少年』。監督は堤幸彦氏。“ともだち”と呼ばれる存在により、世界滅亡の危機が現実に起こりつつあることを知った主人公のケンヂがかつての仲間たちと世界を救うために立ち上がる。
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さらに21世紀になってからも、T・レックスのヒット曲とともにマーク・ボランを描いたミュージカルのタイトルにもなった。日本では映画『20世紀少年』のテーマ・ソングとして使われたことで、新しい世代の間でも有名になった。

文/佐藤剛、佐藤輝、中野充浩